佐野史郎 家族

佐野史郎(映画監督)家系・子供


先祖:神社で働く。神楽の どうとり

高祖父:春日文修(診療所を開く)
祖父:文泰(医師)

父:義和(医師)
母:レイコ(看護師)

弟:和也(医師。実家を継ぐ)
妹がいる

妻:石川真希(状況劇場出身の女優)

娘:八雲


■佐野家は島根県松江市で150年も続く医家

■松江の実家の家は幕末の安政5年に建てられた

■幕末、史郎の4代前の高祖父が、一人の行き倒れた侍と出会った。なぜか、その侍の姓をもらい「佐野」になったという。以前は春日と名乗っていた

■母方は出雲大社の由緒正しき家系

■小泉八雲の怪談話が好きなため、一人娘の名前を「八雲」とした


※参考文献
NHKファミリーヒストリー(2017年11月29日放送)


略歴
■佐野史郎(さの・しろう)
日本の俳優、映画監督。趣味はエレキギター。1955年3月4日、医師である父親がインターン勤務で山梨にいた関係で山梨市に生まれる。島根県松江市出身。島根大学教育学部附属中学校を経て島根県立松江南高等学校卒業。上京後、美學校の中村宏油彩画工房で絵を学ぶ

上原勇作 子孫

上原勇作 家族・家系・子供
(元帥陸軍大将)


祖父:四位次兵衛(都城島津藩士)
叔母:ギンヅル(孫が吉薗周蔵)

実父:龍岡資弦(都城島津藩士。家老格)
実母:四位タカ

養父:上原尚実(島津藩士)

妻:上原槙子(陸軍大将・野津道貫長女)

息子:勇次郎
息子:勇三郎
長女:愛子(貴族院議員・大塚惟精に嫁ぐ)
次女:尚子(大林組2代目社長・大林義雄に嫁ぐ)
三女:しず子(医師・小沢凱夫嫁ぐ。六麓荘に住む)

従兄弟:四位眞助(しい・しんのすけ)
従姪:四位眞佐(帝人副社長・田宮豊治に嫁ぐ)


■上原勇作は島津支藩の都城藩士・龍岡資弦の次男として生まれた。龍岡家は島津家の支族で、もとは北郷と称したが1713年に龍岡に改めた。家紋は「三階菱(さんがいびし)」であるから清和源氏に潜入した橘姓小笠原流とみられる

■田宮豊治の実父・田宮嘉右衛門は神戸製鋼所の創業者

■上原勇作は従姪にあたる田宮眞佐(旧姓・四位眞佐)をとても可愛がった

■田宮眞佐(たみや・まさ)は上原勇作の子供と「またいとこ」にあたり、とても仲が良かった

■叔母のギンヅルの孫・吉薗周蔵(よしぞの・しゅうぞう)は上原勇作の陸軍特務として仕え、『吉薗周蔵手記』を残した。この手記は大正、昭和の歴史を知るうえの超一級資料とされる


※参考文献『「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項』落合莞爾


上原勇作(うえはら・ゆうさく)略歴
【1856年~1933年】明治~昭和期の陸軍軍人。陸軍大臣、教育総監、参謀総長を歴任。軍人としての最終階級は元帥陸軍大将。陸軍大臣、教育総監、参謀総長、元帥の「陸軍三長官」を歴任したのは帝国陸軍史上、上原と杉山元の2名のみである

キッコーマン創業家茂木 子孫

茂木友三郎(10代社長)家系・子供


父:茂木啓三郎(キッコーマン6代社長)
母:とき(初代茂木啓三郎の養女)
弟:賢三郎(日本芸術文化振興会理事長)

妻:あつ子(実家は鎌倉で佐藤病院を開業)

子供
長男:修(おさむ)
長女:まり子
次男:諭(さとし)


■茂木家の先祖は女性だったという。大坂夏の陣で死亡した武将の未亡人が、男子一子と家僕を連れて関東に亡命。そしてたどり着いたのが今の千葉県の野田であった

■野田でコチャという豪農に助けられ、親切な扱いを受ける。そのとき食べさせてもらったのが手打ちソバであった。未亡人は野田に住む決心をしたという

■江戸時代になり茂木一族は、野田の地で、関東平野で醤油(しょうゆ)の原料となる大豆と小麦がとれたことから醤油を造りはじめる

■江戸川の水運もあって江戸に醤油を輸送することが可能であったこともあり、江戸に醤油を供給することで栄えるようになる

■1917年、分家を含めた茂木6家と近隣の高梨、堀切家が合同で「野田醤油」という会社を興し、創業時に200以上あった商標を1940年になって茂木佐平治家の「亀甲萬(キッコーマン)」に統一した

■東京オリンピックのあった1964年に商標を社名にして「キッコーマン醤油」となり、「キッコーマン」を経て、現在の持ち株会社の「キッコーマン」となった

■妻の曽祖父の平岡ひろしは、日本の野球の父、日本で初めてカーブを投げた人物で実業家であった


※参考文献
『新・経営者心得帳(佐藤正忠)』

池田長発 子孫

池田長発(池田筑後守)家系・子供


実父:池田長休(江戸時代後期の旗本)
養父:池田長溥(井原領主)

実兄:池田長顕(旗本、講武所総裁)

養子:長春


■幕府直参旗本の池田長休の四男として江戸に生まれ、井原領主・池田長溥の養子となった

■勝海舟と並ぶ優れた人物と評された

■池田家の家紋は蝶

■長発は27歳にして、34名からなる遣欧使節団を正使として率いることとなり、1863年12月にフランス軍の軍艦ル・モンジュ号で日本を出た

■上海やインド等を経由し、スエズからは陸路でカイロへ向かい、途中ギザの三大ピラミッドとスフィンクスを見学し写真を撮っている

■家督は実兄の池田長顕の五男で養子の長春に譲った


略歴
■池田長発(いけだ・ながおき)
【1837年~1879年】幕末の旗本で、備中国井原(岡山県)の領主であった人物。幕末に外国奉行を務め、文久3年(1863年)から元治元年(1864年)にかけて遣欧使節団を率いてフランスを訪問した。その後、開国論を唱えて蟄居処遇となるが、慶応3年(1867年)には軍艦奉行となった

小川勝也 家族

小川勝也(参議院)家系・妻・子供


父親:上川郡和寒町で鉄工所を経営
長男:小川遥資(ようすけ)


■北海道の上川郡和寒町の小さな鉄工所の息子として生まれ、「鍛冶屋のかっちゃん」と親しまれて育つ

■働き者で寡黙だった亡父からは「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「他人の飯を食え」などの人生訓を通じて、忍耐を学んだという

■趣味は読書、野菜づくり、囲碁。柔道初段

■座右の銘は「義を見てせざるは勇なきなり」


略歴
■小川勝也(おがわ・かつや)
日本の政治家。参議院議員。防衛副大臣(菅第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(鳩山由紀夫内閣)、参議院農林水産委員長・総務委員長・国家基本政策委員長等を務めた。1963年7月7日生まれ。北海道上川郡和寒町西町出身。日本大学法学部卒業。日大在学中は新聞奨学生だった。大学卒業後、鳩山邦夫衆議院議員の秘書となった
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