FC2ブログ

鴻池新六(鴻池財閥創業家) 家族

鴻池新六(直文)(鴻池財閥創始者)家系図・家族・子



江戸時代の日本の財閥。鴻池家が摂津国川辺郡鴻池村(現・兵庫県伊丹市鴻池)で清酒の醸造を始めたことにはじまる。その後、一族が大坂に進出して両替商に転じ、鴻池善右衛門家を中心とする同族集団は江戸時代における日本最大の財閥に発展した。何千万両もの大金を緒大名に貸し付け、各大名からそれぞれ八百国、五百石と扶持(ふち)をもらい、合計すると一万石を越え、大名並みの権威を持った。この鴻池家の始祖が鴻池新六(直文)である


■鴻池新六(直文)は三日月を仰いで「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったという、尼子氏の家臣、山中鹿之介の長男として生まれた

■鴻池新六は兵庫県の伊丹の土地で酒造業を始める。当時の酒は今でいう濁り酒であったが、清酒を開発したことで事業が飛躍する。叱られた手代が腹癒せに酒樽にかまどの灰を投げ込んだために濁り酒が豊潤な清酒になったというもので、本格的な清酒の生産は我国の最初とされる

■鴻池新六は酒造家として成功するとともに、妻・花との間に8男2女の子供を授かる。新六は鴻池村を出て、大坂城下の内久宝寺町に店を開く。この大坂店を8男の善右衛門(正成)が引き継ぐ。この大坂店を今橋鴻池と呼ぶが、鴻池の一統中この今橋が栄えて、幕末までおよそ10代続き現代にいたる

■善右衛門(正成)は始祖の後を継いだ形になるが、父の業績を確固たるものにし、今橋鴻池の礎となった。それだけでなく、鴻池が両替商となったのは善右衛門(正成)の時である

■明治時代になり鴻池の両替商は鴻池銀行となる。1933(昭和8年)に山口銀行と第三四銀行と鴻池銀行の3行が合併し三和銀行(三菱東京UFJ銀行の前身の一つ)が誕生。しかし山口銀行と三四銀行から、それぞれ一名の頭取が出たのに対して、鴻池からはついに頭取が出なかった。江戸時代は日本最大の財閥であった鴻池家の力も三和銀行になって完全に消滅したという見方がある


関連サイト
トップページ http://bit.ly/1hFgCsj
人物別名言集 http://bit.ly/1j4tg4M
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
カテゴリ
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる