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高田屋嘉兵衛 子孫

高田屋嘉兵衛(豪商)家系図・家族・子



父:弥吉(百姓)
妻:ふさ(網元の娘。生不明~1828年)

兄弟(6人兄弟の長男として生まれた)

●長弟:嘉蔵(1771年~1819年)
14歳で兵庫に出て、堺屋喜兵衛方に身を寄せ、水主となる。後に高田屋の大坂支店を任された。嘉蔵の四男・嘉市が叔父・金兵衛の養子となり、箱館の高田屋を継ぐ(高田屋の処罰後に源左衛門と改名。所払いであったが処罰後も引き続き箱館に在住)

●次弟:善兵衛(1773年~1825年)
西出町の本店を任され、母親・久利の面倒を見た

●三弟:金兵衛(1775年~1847年)
商売の才覚があり、箱館支店を任される。嘉兵衛とともに高田屋の事業を拡大するとともに、箱館の街づくりに貢献した。嘉兵衛の養子となり、嘉兵衛の引退後、高田屋を率いた。文政5年(1822年)に松前藩御用達となり苗字帯刀を許される。旗合わせ事件により闕所および所払いの罰を受け、淡路島に戻り謹慎し、そこで死去した

●四弟:嘉四郎(1777年~1808年)

●五弟:嘉十郎(1779年~1834年)

子供(子孫)
●長女:くに(1790年~没不明)
兵庫西出町の船大工・紀国屋半左衛門に嫁ぐ。身持ちが悪く一時勘当されていた

●長男:弥吉(1795年~1854年)
弥十郎、浄光と改名。若い頃に放蕩のため勘当される。大坂で茶の商売を始め、宇治の茶問屋の養子となる。勘当された時期ははっきりしないが、文政元年に定めた高田屋家訓には、筆頭に名前が出ている

●次男(妾出):嘉吉(1814年~1869年)
嘉兵衛は複数の妾を持っていたようだが、母親は不詳。長弟・嘉蔵の子として育てられる。13歳で嘉兵衛の跡を継ぎ、二代目嘉兵衛を名乗る。諱は清房。淡路の高田屋を継ぐ

子孫
・高田耕作



■1769年、高田屋嘉兵衛は淡路島都志本村(現・洲本市五色町都志)に6人兄弟の長男として生まれた

■江戸後期の海運業者でエトロフ島に魚場をひらく。北方航路を開発して北海道・エトロフ島の開拓に貢献。箱館(はこだて)の築港事業、地元への社会事業に私財を投げ出した

■最後は弟の金兵衛に店を譲って嘉兵衛は故郷の淡路島に隠居し59歳でこの世を去った。それから4年後に、高田屋は俄かに没落していった。それは金兵衛が密貿易を行ったという嫌疑をかけられたからだった。しかし、真相はどうやら、松前商人に嫌われたためらしい。一代の栄華はかくてはかなく消えうせた


※参考文献:『豪商物語(著書:邦光史郎)』


関連サイト
トップページ http://bit.ly/1hFgCsj
人物別名言集 http://bit.ly/1j4tg4M


高田屋嘉兵衛(たかたや・かへえ)略歴
【1769年~1827年】江戸時代後期の廻船業者、海商。現・兵庫県洲本市五色町の百姓の長男として生まれた。高田屋嘉兵衛を描いた小説として、司馬遼太郎の 『菜の花の沖』が有名である
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