FC2ブログ

吉良富子(吉良上野介の妻)

吉良富子(きら・とみこ)略歴
1643年~1704年(寛永20年~宝永元年)江戸時代前期、吉良義央(上野介)の妻。層祖父が上杉謙信。2代出羽米沢藩主上杉定勝の四女として生まれる。母は生善院(近衛家家司斉藤本盛娘)。幼名は参姫(三姫)。万治元年家旗本吉良義冬の公子・義央に嫁いだ。30万石の国主大名上杉家の姫が、四位の高家とはいえ石高で言えば4200石しかない旗本吉良家に嫁ぐというのは大変異例であった(富子の姉たちは肥前佐賀藩主鍋島光茂や加賀大聖寺藩主前田利治などに嫁いでいる)。家臣からも反対者が出たが、この縁組は幕命であったため拒否できなかった。また、兄綱勝が保科正之の娘を正室に迎えていたとはいえ、有力幕閣と縁戚関係の少なかった上杉家にとって、大老酒井忠勝を大叔父に持つ義央との婚姻は貴重であった。さらに、吉良家が室町時代からの婚姻関係によって上杉家・八条上杉家の血を引いているという事情もあった。元録15年、夫が赤穂浪士に討たれたのちは剃髪 (ていはつ)して梅嶺院(ばいれいいん)と称した。宝永元年8月8日62歳で死去。


関連サイト
大石内蔵助語録 http://bit.ly/yUIki8
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
カテゴリ
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる