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大石りく(大石内蔵助の妻)

大石理玖(りく)


内蔵助の妻。内蔵助との間に三男二女をもうけた。赤穂城開城の後、内蔵助や子供たちとともに京都の山科に移り、長男・主税が元服した翌年の春、内蔵助から離縁された。世にいう"山科の別れ"である。夫は吉良邸討ち入りに成功。夫と長男の主税が切腹した後、理玖は正福寺で冥福を祈る生活を続け、香林院と名乗った。赤穂の浪士たちの行為は人々に感銘を与え、理玖や大三郎が有名になると赤穂浅野家の本家にあたる広島から仕官の話が舞い込む。大三郎は父・良雄と同じ1500石という破格の条件で召抱えられ、理玖と一緒に広島へ移った。離婚の真相を内蔵助が語ることはなかったが、理玖は夫の真意を悟っていたとされる。武士の妻の鏡として語り継がれる女性のひとりである。

誕生の地
理玖は豊岡市京町にあった石束家の屋敷で生まれたとされる。現在、約50メートル南側に「大石陸女生誕之地」の碑が建立されている。当時は城山(神武山)のふもとに陣屋、それをとりまくように家老級の屋敷があり、東側の広い範囲を石束本家が占めていた。


関連サイト
大石内蔵助語録 http://p.tl/Rlmc
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