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鈴木貫太郎 子孫

鈴木貫太郎 (内閣総理大臣)家族・子共



父:鈴木由哲(幕末の関宿藩久世氏の家老)
母:きよ

弟:鈴木孝雄(陸軍大将、靖国神社宮司を務めた)
弟:鈴木三郎(関東都督府外事総長、久邇宮御用掛)
弟:永田茂(陸軍中佐)

前妻:トヨ(会津藩士の大沼親誠の娘。姉は出羽重遠夫人。死別する)
後妻:たか(昭和天皇の皇孫殿下時代の教育御用掛)

子供
・一(農林省山林局長、侍従次長、外務省出入国管理庁長官等を務めた)
・さかえ(陸軍大将・藤江恵輔に嫁いだ)
・ミつ子(台北帝大理農学部応用微生物学教授・足立仁に嫁ぐ)

孫:鈴木道子

曽孫:足立基浩(和歌山大学経済学部教授。専門はまちづくり論・環境政策)


■鈴木は生涯に2度の暗殺未遂を経験しているが、幼い頃から何度も死にそうな目にあった。3歳のとき暴走してきた馬に蹴られかけたり、魚釣りをしていて川に落ちたり、海軍に入ってからは夜の航海中に海に落ちたりしたが、その度に奇跡的に助かった


関連サイト
鈴木貫太郎語録 http://bit.ly/yroJ5y


鈴木貫太郎(すずき・かんたろう)略歴
1867年~1948年(慶応3年~昭和23年)内閣総理大臣(42代)。海軍大将。政治家。和泉国大鳥郡伏尾新田(現・大阪府堺市)生まれ。海軍大学校卒。日露戦争で日本海海戦に参加。海軍省人事局長、海軍次官、海軍兵学校校長、連合艦隊司令長官などを歴任。昭和4年、侍従長兼枢密顧問官に就任。侍従長在任中の昭和11年、2・26事件により襲撃を受け、一命をとりとめるが辞職。昭和19年、枢密院議長、翌年首相となる。ポツダム宣言受諾後、総辞職した。80歳で没
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