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米内光政 子孫

米内光政 (内閣総理大臣)家族・末裔・子供



父:米内受政(旧盛岡藩士)
母:とみ

妻:こま

子供
長女:ふき(東和英和女学校卒。二反田三郎大尉に嫁ぐ)
次女:早逝
三女:和子(竹中工務店社長を歴任した竹中錬一に嫁ぐ)
長男:剛政(慶応大学経済学部卒。三菱重工勤務)
四女:中子(あつこ)
五女:早逝
末子:尚志(たかし)

孫:米内隆政
孫:光治
孫:紀尾子


■1880年(明治13年)、岩手県盛岡市に旧盛岡藩士米内受政の長男として生まれる。父の選挙落選、事業失敗で、一家は困窮し、米内は幼少の頃から新聞配達、牛乳配達などをして家計を助けていた

■身長180cm。柔道三段。趣味は長唄と日曜大工だった。長唄は遊女の哀れを歌った色っぽいものを好んだ。またロシア文学にも親しみ、プーシキンを愛読した


参考文献:『米内光政(著書:阿川弘之)』


関連サイト
米内光政語録 http://bit.ly/yTG2S4


米内光政(よない・みつまさ)略歴
【1880年~1948年】海軍軍人、政治家。第37代内閣総理大臣。岩手県出身。海軍兵学校、海軍大学校を卒業。日露戦争に従軍。第3艦隊司令長官、第2艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官などを歴任し、1936年連合艦隊司令長官。翌年林内閣の海相、海軍大将となり、第1次近衛内閣、平沼内閣では留任。1940年1月組閣し首相に就任したが同年7月総辞職。東条退陣後、小磯内閣で海相に復帰。以後、鈴木、東久邇、幣原の各内閣の海相を歴任し、太平洋戦争終結、敗戦処理に尽力した。68歳で没
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