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清水宗治 子孫

清水宗治(備中国高松城主)の子孫



■清水宗治の息子で長男(但し庶子)の清水宗之は1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦の安濃津城攻防戦で討死した。そのため次男の清水景治(かげはる)が跡を継いだ

■清水景治は備中高松城の戦いで父が切腹した後に小早川隆景に仕えた。天下人となった豊臣秀吉に大名として取立て、直臣になるように勧誘されたが、これを拒否して小早川家臣でいることを選んだ。文禄・慶長の役でも小早川軍の一員として朝鮮に渡って活動した。隆景の死後は毛利に復帰。関ヶ原の戦いで毛利が減封された時に、今の山口県に移り、萩に屋敷をかまえて住んだ

■萩に移ってからも、長門長府藩の初代藩主・毛利秀元(毛利元就の4男)と共に財政再建に協力するなど、毛利氏を支えた。慶安2年(1649年)に萩で病死した。享年は79といわれる

■子孫に22歳で長州藩の家老となり、禁門の変の責任を取って元治元年(1864年)に自害した清水親知(清太郎)がいる。清水親知(ちかとも)は清水宗治から12代目の子孫にあたる

■息子・親知(ちかとも)の死後、清水宗治から11代目の子孫にあたる父の清水親春(ちかはる)が再度家督を継ぐ。第二奇兵隊総督となり、第二次長州征討で幕府軍と戦う。明治8年(1875年)死去するが、婿養子の清水資治(すけはる)が親春の明治維新への功績により男爵となった


関連サイト
戦国武将語録集 http://bit.ly/xdI9T4
清水宗治の家系図 http://bit.ly/1kNY84A
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