大塩平八郎 子孫

大塩平八郎(平八郎の乱)家族・妻・子供


父:大塩平八郎敬高(大坂町奉行組与力を代々務める)
妾:ゆう / ひろ(茶屋大黒屋和市の娘)
養子:格之助


■役人に囲まれる中、養子の格之助と共に短刀と火薬を用いて自決した。享年45

■大塩父子の終焉地近傍の大阪市西区靱本町1丁目18番12号(天理教飾大分教会の敷地内)に、追悼碑がある

■平八郎と格之助の墓は大阪市北区の成正寺にある。戦災で破損した墓を1957年に復元したものであり、まだ新しい

■奉行所時代は、狷介ながら汚職を嫌う正義漢として不正を次々と暴いた。特に、組違いの同僚である西町奉行与力・弓削新左衛門の汚職事件では内部告発を行い、その辣腕ぶりは市民の尊敬を集めた

■「天保の飢饉」の際、奉行所に窮民救済を進言するも聞き入れられず、平八郎は蔵書を売って救済にあたった。しかし、飢饉による米価高騰などの影響で各地で一揆が勃発するなか、平八郎は武装蜂起を決意。大塩平八郎の乱を起こす



大塩平八郎(おおしお・へいはちろう)略歴
【1793年~1837年】江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。大塩平八郎の乱を起こした。大坂町奉行組与力を代々務める大塩家の八代目として、大坂天満にて生まれる。不正を嫌う厳格な性格で町奉行の役人として辣腕を振るった
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