真田幸村 子孫

真田幸村(信繁)家系・子供



父:真田昌幸(戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名)
母:宇多頼忠の娘・山手殿(寒松院)異説有

兄弟
・村松殿
・信之(信濃上田藩の初代藩主、後に信濃松代藩の初代藩主)
・信勝
・昌親ほか


正室:(大谷吉継の娘、姪?)・竹林院
側室:豊臣秀次の娘・隆清院
堀田興重の娘、高梨内記の娘

子供
・阿菊(石合重定室)
・於市
・阿梅(片倉重長後室)
・あくり(蒲生郷喜室)、
・幸昌
・なほ(御田姫、岩城宣隆室)、
・阿昌蒲(片倉定広室)、
・おかね(石川貞清室)
・守信
・幸信
・之親、
・瓢左衛門

子孫:真田徹(仙台に在住。真田幸村の直系の子孫)


■信繁には多くの子がいたが、真田氏における真田信繁家としては、嫡男の大助(真田幸昌)が生まれた時には既に九度山へ幽閉されており、幸昌は大坂城にて子を作らぬまま自害し、この系統は絶えた


関連サイト
トップページhttp://nihonnokakeizu.net/
真田信繁語録http://goo.gl/HNjSLv


真田信繁(さなだ・のぶしげ)略歴
【1567年~1615年】安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。江戸期に書かれた小説真田十勇士の真田幸村として知られている。勇猛果敢な武将と名高く、関ヶ原の合戦では父の昌幸とともに西軍に参加、上田城に籠城し、2000の兵で徳川秀忠率いる3万8000の軍を撃退した。関ヶ原後も徳川側に組することなく、大坂夏の陣で家康の本陣に突入し討死した。後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され、それらを基に軍記物や講談や小説などが創作されて、真田十勇士を従えて宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となった

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