広瀬宰平 子孫

広瀬宰平(初代住友総理人) 家系・子供



叔父:北脇治右衛門(別子銅山支配人)
実父:北脇理三郎

一人目の妻:相(あい)。難産により嬰児とともに亡くした
二人目の妻:町(まち)。長男・満正を出産したが、宰平35歳のときに病没
三人目の妻:幸(こう)。20歳年下で晩年まで幸せに暮らす

長男:満正
甥:伊庭貞剛(「別子銅山中興の祖」と呼ばれた)


■1828年5月5日、北脇理三郎の次男として近江国野洲郡八夫村(現滋賀県野洲郡中主町)で生まれた

■明治期の実業家。初代住友総理人。別子銅山を近代化し、事業展開の基礎を築いた


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広瀬宰平(ひろせ・さいへい)略歴
【1828年~1914年】明治期の実業家。初代住友総理人。別子銅山を近代化し、事業展開の基礎を築いた。1834年、別子銅山勤務の叔父・北脇治右衛門の養子となり、1836年 9歳のとき、叔父に従って別子銅山に登る。28歳のとき、住友家第10代当主・友視の推挙によって広瀬義右衛門の養子となり、38歳で別子銅山支配人となった。その間、仕事の合間に独学で漢学を修め、中国の古典によって事業経営の真髄を学ぶ。住友家の総理人(初代総理事)となり、家と事業を分離した
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