志村鉄一 子孫

志村鉄一(札幌開祖)家系・家族・子供


父:
母:
妻:
子供:


■志村鉄一は、札幌に初めて居住した和人で、札幌開祖と呼ばれている

■志村鉄一は、安政4年(1857年)に幕府の命により豊平川に渡船場と通行屋が設けられた際、渡守として任命された人物で、その後豊平に定住した初めての和人と言われている

■住居跡(現在の札幌市豊平区豊平3条1丁目付近)の遺跡に顕彰碑が建立されたが、1967年(昭和42年)新豊平橋の架橋に伴い同市豊平4条1丁目に移転している


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志村鉄一(しむら・てついち)略歴
札幌に初めて居住した和人で、札幌開祖と呼ばれている。志村は元々は信州の剣客だったが、江戸生まれの元幕臣で石狩役所に勤める荒井金助の誘いにより、蝦夷地開拓にやってくる。志村の扱いは足軽格で、給与は2人扶持だった。渡し舟の業務は主に息子の仕事であり、和舟では渡りきれないような急流を、丸木舟を使い両岸に張ったコクワの蔓をたぐって渡ったという。その後、猟師の吉田茂八が付近に居住するようになり、二人は親交を深める。やがて人の往来が多くなったため、志村は駅逓(宿泊と郵便を扱う仕事)も兼務することとなる。だが1869年(明治2年)、幕府に代わって明治政府が札幌に開拓使を置き島義勇が判官としてやってくると、志村鉄一は仕事を奪われ、代わりに吉田茂八がその任につくことになった

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