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山田方谷 子孫

山田方谷の家系・家族・子孫
(儒家)



父:五郎吉(菜種油の製造・販売を家業とする農商)
母:梶(西谷家)

妻:若原進(新見藩士の女)

長女:瑳奇


■山田家は、先祖は清和源氏の流れを汲む武家であったが、方谷が生まれるころは百姓として生計をたてていた

■方谷の思想は後に、弟子の三島中洲の「義利合一論」へと発展して、渋沢栄一らに影響を与えることになった

■また、至誠惻怛(しせいそくだつ)という真心と慈愛の精神を説いたことでも知られる

■安岡正篤は、「この人のことを知れば知るほど文字通り心酔を覚える」と評価している


関連サイト
山田方谷語録http://goo.gl/KDsMFS


山田方谷(やまだ・ほうこく)略歴
【1805年~1877年】幕末期の儒家・陽明学者。通称は安五郎。方谷は号。備中聖人と称された。備中松山藩を財政危機から救い、備中聖人と称された。幕末の混乱期には苦渋の決断により藩を滅亡から回避させることに成功。方谷が説く「理財論」および「擬対策」の実践で、藩政改革を成功させた
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No title

方谷の長男が進昌一郎となっていますが、是れは間違いです。
二人は師弟の関係だけです。進昌一郎は小生の曾祖母次の兄で、進家を継ぎ、後進鴻渓と称し、有終館の塾頭を次ぎ、方谷の後を継いだひと。
進鴻渓百二十年祭記念誌(平成16年11月21日発行)編著者 進 眞郎氏に小生の家系図を載せてあります。
書生の家系と方谷との接点は、曾祖母 次の主人村上幾太郎が、山田方谷の従兄弟とである事えす。

方谷の後は、二松学舎の創始者である山田準先生であり、先生は養子で方谷の子息は無いと聞いています。準先生とは数回の面接がありました。以上

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