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岩崎弥太郎 子孫

岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)家系・家族・子孫



父:岩崎弥次郎(土佐国、現・高知県安芸市の地下浪人)
母:美和(医者・小野慶蔵の次女。小野家も地下浪人)
弟:弥之助(三菱財閥第2代総帥。妻の早苗は政治家、後藤象二郎の長女)

妻:喜勢(郷士・高芝玄馬(重春)の二女)

子供
長女:春路(夫が外交官で第24代内閣総理大臣となる加藤高明)
長男:久弥(三菱財閥第3代総帥)
四女:雅子(夫が外交官で第44代内閣総理大臣となる幣原喜重郎)

甥:岩崎小弥太(三菱財閥第4代総帥。弟・弥之助の長男)
甥:岩崎俊弥(旭硝子の創業者。弥之助の次男)


■娘婿から2人も総理大臣を出しているところが凄い


【三菱財閥岩崎家4代】
初代総帥 岩崎弥太郎
2代総帥 岩崎弥之助(初代・弥太郎の弟。17歳下)
3代総帥 岩崎久弥(初代・弥太郎の長男)
4代総帥 岩崎小弥太(初代・弥太郎の甥で弥之助の長男)


初代弥太郎が日本の海運業を制覇し、三菱財閥の土台を築いた。しかし明治政府は弥太郎が大隈重信率いる立憲改進党の資金源と睨み、明治15年共同運輸と称する巨大海運会社を三井や渋沢栄一に創設させ、岩崎家を倒そうとする。三菱は2年以上にわたり共同運輸の攻撃をしのいだが、闘いの最中に弥太郎は癌に冒され死去する。弟の弥之助が三菱を継いで2代目社長となるが、経営は破たん寸前であった。そこで、一旦は兄が日本一にした海運業を捨て去る苦渋の決断をする。政府の斡旋により、明治18年三菱を解散して共同運輸と合併し、日本郵船を誕生させた。その後、弥之助は三菱社を創設。海運分野を切り離して残った鉱業や造船業、金融業、地所事業、倉庫業を中心に多角経営に乗り出す。海から陸への転換をはかった。さらに、3代目久弥と4代目小弥太が三菱を引き継ぎ、さらなる巨大な企業・財閥グループに発展させた。2代目弥之助の業績はあまり知られていないが、弥之助がいなければ三菱は初代の弥太郎で終わっていたといえよう。


関連サイト
岩崎弥太郎語録集(経営編)http://bit.ly/rngA6X
岩崎弥太郎語録集(教育編)http://bit.ly/xGMext


岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)略歴
1834年~1885年(天保5年~明治18年)三菱財閥創始者。土佐(高知県)生まれ。開成長崎商会、九十九(つくも)商会を経て、明治6年三菱商会を設立し海運業に乗り出す。明治7年郵船汽船三菱会社と改称し、国内最大の海運会社となる。明治16年三井系の共同運輸会社と熾烈なる競争を繰り広げて三井財閥と対抗。51歳で他界するが、郵船汽船三菱会社は長男久弥らの手で三菱財閥へと発展した
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