長岡半太郎 子孫

長岡半太郎(物理学者)家系図・家族・子孫



父親:長岡治三郎(大村藩藩士)

前妻:操子(日本最大の学者一族・箕作麟祥の三女。1902年死去)
後妻:平川登代(操子が亡くなり、まもなくして平川と再婚)

子供
長男:治男(理化学研究所理事長)
次男:正男(第6代日本光学工業(現ニコン)社長)
長女:半太郎の弟子・岡谷辰治と結婚した
五男:嵯峨根遼吉(実験物理学者。平川登代との間の子)


■1937年 初代文化勲章を受章

■長岡は1939年、スウェーデンのノーベル賞委員会に湯川秀樹への授賞を推薦している。この推薦は第二次世界大戦を挟んだ10年後の1949年に実り、湯川は中間子理論が認められて日本人初のノーベル賞(物理学賞)を受賞した

■1950年 満85歳で死去。死の当日も地球物理学の本を広げて研究を続けていた


関連サイト
トップページhttp://nihonnokakeizu.net/
長岡半太郎語録http://bit.ly/Uy2XYu


長岡半太郎(ながおか・はんたろう)略歴
【1865年~1950年】日本の物理学者。土星型原子モデル提唱などの学問的業績を残した。初代大阪帝国大学総長や帝国学士院院長などの要職も歴任した。初代文化勲章受章。正三位勲一等旭日大綬章追贈。現・長崎県大村市で大村藩藩士長岡治三郎の一人息子として生まれた
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