中島知久平 子孫

中島知久平(飛行機王)家系図・家族・子孫



父:中島粂吉(農業を営む)
母:いつ
弟:喜代一(中島飛行機製作所の所長を務める)

妻:なし

子供
庶子:中島源太郎(映画プロデューサー、衆議院議員、文部大臣を歴任)
孫:中島洋次郎(衆議院議員、防衛政務次官や自民党国防部会長を歴任)


■知久平は生涯正妻を娶らなかったが、身の回りの世話をした女性との間に生まれた庶子2人を長女と長男として自分の籍に入れた

■中島飛行機は東洋一の飛行機会社であり、最盛期には25万人の従業員を擁した

■1931年 中島飛行機製作所の所長の座を弟喜代一に譲り、営利企業の代表を全て返上。12月の犬養内閣の商工政務次官に就任した

■1936年に政友会総務拝任。1938年に第1次近衛内閣の鉄道大臣として初入閣した


関連サイト
トップページhttp://nihonnokakeizu.net/
中島知久平語録http://bit.ly/Max40b


中島知久平(なかじま・ちくへい)略歴
【1884年~1949年】わが国史上、最大の軍需工場・中島飛行機(のちの富士重工業)の創始者、実業家、政治家。群馬県新田郡の富農の長男として生まれる。明治33年17歳で家出を敢行。独学により海軍機関学校に入学、明治40年代はじめより憑かれたように航空機の研究に熱中した。中島飛行機製作所を創業。第2次大戦中の名機「隼(はやぶさ)」「疾風(はやて)」「鍾馗(しょうき)」など、いずれも中島飛行機製作所の手による。しかし、敗戦とともにA級戦犯に指定され、自宅拘禁。その後、戦犯指定を解除されたが、財産凍結の措置を受けたまま脳溢血で没した
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
カテゴリ
プロフィール

Author:日本の家系図
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる