大石内蔵助 子孫

大石良雄(内蔵助)家系図・家族・子孫


妻・・・理玖(りく)(現在の豊岡市出身。豊岡京極家の家老・石束宇右衛門(毎公)と、佐々成政の子孫・快楽院の長女として生まれた)

子供
長男・・・主税(切腹させられる)
次男・・・吉之進(19歳で死去)
三男・・・大三郎(妻りくや子らは罪が連座しないように絶縁されて山科から豊岡に戻された。この時りくが妊娠しており、豊岡で出産することになる。そして生まれたのがこの大三郎であった。赤穂の浪士たちの行為は人々に感銘を与え、理玖や大三郎が有名になると赤穂浅野家の本家にあたる広島から仕官の話が舞い込む。大三郎は父・良雄(内蔵助)と同じ1500石という破格の条件で召抱えられ、理玖と一緒に広島へ移った。


関連サイト
トップページhttp://nihonnokakeizu.net/ 
大石内蔵助語録http://bit.ly/yUIki8


大石内蔵助 (おおいし・くらのすけ)略歴
1659年〜1703年(万治2年〜元禄16年)。 赤穂藩浅野家の家老。忠臣蔵の主役として、指導者の理想像に。名は良雄、内蔵助は通称。山鹿素行に軍学を学んだと言われる。1701年藩主浅野長矩が切腹、領地没収となると、家中を統率して浅野家再興を図る。その望みが絶たれた翌年、赤穂義士の首領として、主君浅野長矩の敵・吉良義央を討った。自身は、幕法違反として肥後藩預けとなり、切腹したが、浅野長矩の弟大学が五百石の旗本になっており、浅野家再興は別の形で実現した。44歳で没
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