山田顕義 子孫

山田顕義(初代司法大臣)家族・家系・子孫



大伯父:村田清風(長州藩士家老。毛利藩の財政再建に成功)
伯父:山田亦介(海防や軍艦製造、兵制改革に関わる。松陰の兵学の師)
又従兄弟:河上弥市(高杉晋作と親友)
父親:山田七兵衛顕行(長州藩士。大組士、禄高102石、藩海軍頭)
母親:鶴子
弟:河上繁栄(河上弥市が戦死、妹ウメの婿養子になり河上家を継ぐ)

妻:龍子(井上馨の養女、湯田温泉瓦屋の鹿島屋喜右衛門の長女)

子供
長男:夭折
長女:梅子(妾の子。6歳の時に顕義死亡。龍子が養育する)
養嗣子:山田(河上)久雄

梅子・・・会津松平家より、松平容保の三男・松平英夫を婿に取った。英夫は陸軍歩兵中佐に進み病のため現役を離れ、貴族院議員を務めた。英夫の次男・貞夫はインパール作戦に参加し戦死した陸軍大尉。

山田(河上)久雄・・・河上繁栄の長男。顕義夫妻の長男・金吉が早世し、後継ぎとなる子がいなかったため、明治17年顕義の養嗣子となった。

関連サイト
トップページhttp://nihonnokakeizu.net/
山田顕義語録http://bit.ly/wjhJzK


山田顕義(やまだ・あきよし)略歴
1844年~1892年(天保15年~明治25年)長州藩士、政治家、陸軍軍人。初代司法大臣。松下村塾に学ぶ。尊王攘夷運動に参加。戊辰戦争で活躍。岩倉遣外使節団に随行。日本の小ナポレオンといわれ、明治維新期の軍人として新政府に貢献するとともに、新日本の建立者として、近代日本の法典整備に力を尽くした。皇典講究所(現・国学院大学)、日本法律学校(現・日本大学)の設立にも関わる。享年49歳
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
カテゴリ
プロフィール

Author:日本の家系図
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる