岩切章太郎 子孫

岩切章太郎 家系・家族・子供
(宮崎交通グループの創業者)


祖父:与平(呉服屋、帆船)
父親:与平(実業家)
母親:病人の看病が上手だった

弟:消防団長
弟:黒木芳郎(宮崎放送社長)

妻:宮崎農工銀行取締役の娘

子供:息子と娘
長男:省一郎(宮崎交通2代社長)


■9人兄弟の長男として生まれた

■父親の幼名は与四郎といったが、祖父が亡くなると岩切与平に改名した

■家業は呉服を中心としての商業と、帆船による大阪方面との取引で2、3隻の帆船があった

■父親は呉服屋をやめ、同時に次々と事業を起こす。宮崎農工銀行、日州銀行、日向水力電気をはじめとして、新聞社やその他まで宮崎で新しく起こる事業には全てに関わったといわれる。宮崎軽便鉄道の社長在任中、51歳で死去

■岩切は大学2年生の12月に結婚をした。大学3年生の時に長男が生まれている


※参考文献『私の履歴書(経済人8)』


略歴
■岩切章太郎(いわきり・しょうたろう)
【1893年~1985年】日本の実業家。宮崎交通グループの創業者。宮崎県宮崎市出身。東京帝国大学政治学科卒業後、住友総本店に勤務。数年で宮崎県に帰り、故郷の発展に尽力した

武者小路実篤 子孫

武者小路実篤(小説家)家系・子供


祖父:勘解由小路資生(公家・歌人)

父:武者小路実世(子爵)
母:秋子(なるこ)。勘解由小路家出身

前妻:房子(旧姓・竹尾)
後妻:安子(旧姓・飯河)

長女:新子
次女:妙子
三女:辰子
養女:喜久子



・河村有紀子(歌舞伎・4代中村梅玉に嫁ぐ)
・武者小路篤信(ギャラリー武者小路銀座・経営)
・武者小路信和(学者)

甥:武者小路公秀(国際政治学者)


■現在の東京都千代田区に、藤原北家の支流・閑院流の末裔で江戸時代以来の公卿の家系である武者小路家の武者小路実世子爵と勘解由小路家(かでのこうじけ)出身の秋子夫妻の第8子として生まれた

■上の5人は夭折しており、姉の伊嘉子、兄の公共 と育った

■公家の家系で、父親の実世(さねよ)は、ドイツに7年留学して当時としては新知識を持っていた

■家には女中や書生が沢山いたので、子供の時から雨戸を自分で開けたことはなかった。もちろん自分で寝床を開けたこともなかったという

■叔父からロシアの文豪・トルストイを教わり、19歳のころから、トルストイに夢中になる

■学習院から東京帝国大学哲学科社会学専修に入学したが、当時学習院から帝大には無試験で入れたという


※参考文献『私の履歴書(文化人1)』


略歴
■武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ)
【1885年~1976年】日本の作家・小説家・劇作家・詩人・画家。貴族院勅選議員。東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)生まれた

大和田荘七 子孫

大和田荘七(豪商)家系・子供


実父:山本九郎左衛門(薬種業者)
養父:初代大和田荘七


子孫
・大和田獏(俳優)
・大和田伸也(俳優)
・大和田悠太(俳優)


■大和田荘七(おおわだ・しょうしち)は明治、大正時代の実業家。敦賀の経済の基盤をつくった。福井敦賀では有名な人物で敦賀市には銅像も建っている

■当時の有力商人で回漕業者大和田荘兵衛の養子として育つ。1878年、荘兵衛の姉しげ、婿荘七(旧姓伊東)夫妻の娘万寿子と結婚、荘七家の養子に入った

■大和田銀行を設立。敦賀商業会議所初代会頭。敦賀港の国際貿易港指定、港湾の整備などに尽力した



略歴
■大和田荘七(おおわだ・しょうしち)
【1857年~1947年】北前船の船主であり、大和田銀行、大和田貯金銀行を創立した。1857年、薬屋の次男として、敦賀に生まれる。1878年、初代大和田荘七の養子になる。1887年、初代大和田荘七の名を受け継ぎ、2代目となる。1892年、大和田銀行設立。1894年、「敦賀港開港に関する請願書」を提出。1899年、敦賀港が国際貿易港の指定を受ける。1912年、敦賀港を中継点とした東京とヨーロッパ各国を結ぶ「欧亜国際連絡列車」開通

吉薗周蔵 子孫

吉薗周蔵(吉薗周蔵手記)家系・子供


曽祖父:四位次兵衛(都城島津藩士)

祖父:堤哲長(公家の名家)落合莞爾説
祖父:吉薗萬助
祖母:ギンヅル(甥が上原勇作陸軍大臣)

父:吉薗林次郎(宮崎で農業を営む)
母:キクノ(大隈隼人系の木下家)

妻:

娘:吉薗明子

縁戚:四位眞佐(帝人副社長・田宮豊治に嫁ぐ。田宮豊治の実父・田宮嘉右衛門は神戸製鋼所の創業者)


■吉薗周蔵(よしぞの・しゅうぞう)は1894年5月12日、宮崎県西諸県郡小林で生まれた

■吉薗家のように「薗」の付く姓は、大隈隼人の末裔で盆地を支配する一族だったという

■吉薗家は代々の縁組みは木下氏、内竹氏ら大隈隼人系であったがこれらの家は薩摩藩士とも縁を結んでいた

■父の吉薗林次郎は吉薗家の養女・ギンヅルと公家・堤哲長との間に生まれた子である

■祖母・ギンヅルは四位次兵衛(都城島津藩士)が岩切家から嫁いだ某女に生ませた子である

■ギンヅルは山本権兵衛内閣総理大臣(第16・22代)と仲が良かった。ギンヅルの実家の岩切家は何代か前にポルトガル人の血が入っているという。戦国時代にポルトガル人の往来が盛んだった日向海岸では、幕藩体制の厳しい鎖国令にも拘わらず、密入国が絶えなかったという


※参考文献『「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項』落合莞爾



■略歴
吉薗周蔵(よしぞの・しゅうぞう)
【1894年~1964年】上原勇作の陸軍特務として仕え、『吉薗周蔵手記』を残した。この手記は大正、昭和の歴史を知るうえの超一級資料とされる

江夏豊 家族

江夏豊(投手)家系・子供


先祖:島津藩の家老

父:幼少の頃、離婚
母:喜美(鹿児島県出身)

異父兄:房雄(14歳上)
異父兄:雄二(7歳上)



子供


■母親は鹿児島県出身で、先祖を辿ると島津藩の家老に行き当たると母親が言っていたという。江夏の元々の読みは「こうか」だったが、母親が関西に出たときに、読みやすいように「えなつ」に変えたという

■鹿児島県出身の母親が、大阪大空襲で疎開した奈良県吉野郡(昔は柳生と呼ばれた)で父親と知り合い、そこで生を享けた。間もなく両親が離婚


■兄が2人いるが3人とも父親は違う

■14歳上の房雄兄が父親代わりとなった。野球を教えたのも、右利きから左利きに変えたのもこの兄だった


※参考文献
『日経新聞(私の履歴書)』


略歴
■江夏豊(えなつ・ゆたか)
日本のプロ野球選手(投手)、解説者・評論家。最多勝:2回 (1968年、1973年)。最優秀防御率:1回 (1969年)。沢村賞:1回 (1968年)。日本記録であるシーズン401奪三振、最優秀救援投手5回などを記録。オールスター9連続奪三振や江夏の21球を演出し、1960年代後半から1980年代前半にかけて日本プロ野球で活躍した。1948年5月15日生まれ。兵庫県尼崎市出身
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