コロンブス 子孫

コロンブス 家族・子供・末裔
(探検家、航海者)



父:ドメニコ・コロンボ(毛織商)
母:スサーナ・フォンタナローサ
弟:バルトロメオ(2歳下)


・フェリパ(ポルトガル人)
・ベアトリス・アラーナ(内縁)

長男:ディエゴ・コロン(1481年頃誕生)
次男:フェルナンド・コロン(1488年頃誕生)


・マリア・コロン・デ・トレ
(初代グアダレスト侯爵に嫁ぐ)

・ルイス・コロン・デ・トレド
(最初のベラグア公爵。初代ジャマイカ侯爵)

・クリストバル・コロン・デ・トレド


■クリストファー・コロンブスは1451年頃、北イタリアの港町、ジェノバで生まれたとされる

■父親のドメニコ・コロンボは、毛織商人のかたわら、家では小さな店も開いて、葡萄酒やチーズを売っていた

■コロンブス29歳の頃にリスボンで、フェリパというポルトガルの女性と知り合い結婚した。直ぐに長男・ディエゴが生まれる

■34歳の頃に、妻のフェリパが亡くなる


※参考文献『コロンブス』(小学館)。著者:谷真介


略歴
クリストファー・コロンブス
【1451年頃~1506年】イタリアのジェノバ出身の探検家、航海者、商人。キリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである
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マルコ・ポーロ 子孫

マルコ・ポーロ 家族・子供・末裔
(商人・冒険家)



叔父:マフェオ・ポーロ(商人)
父親:ニコロ・ポーロ(商人)

妻:1299年に結婚。ポーロ45歳の時

子供:娘が3人


■父・ニコロ・ポーロと叔父・マフェオ・ポーロが宝石の取引のためにヴェネツィアを
船出している最中の、1254年9月15日にヴェネツィアでマルコ・ポーロが生まれる。この間にニコロとマフェオはフビライ・ハンに会っている

■ニコロとマフェオがヴェネツィアに帰ってきたのが、1269年の夏。マルコが15歳の時。この時に初めて父子が顔をあわす。実母は既に亡くなっていた

■1271年、マルコが17歳の頃にニコロとマフェオと3人で元の国に向かってヴェネツィアを出発する

■1275年、マルコが21歳の頃、ポーロ家の3人はフビライ皇帝に会い、それ以来17年間フビライ皇帝に仕えた

■1324年、マルコ・ポーロは妻と娘と、わずかな友人達に看取られながら、70歳で亡くなった


※参考文献『マルコ・ポーロ』(ポプラ社)。著者:おき・たかし


略歴
■マルコ・ポーロ
【1254年~1324年】ヴェネツィア共和国の商人、船乗り。大冒険家。著書にヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録(とうほうけんぶんろく)』がある

ガリレオ・ガリレイ 子孫

ガリレオ(天文学者)家系・子供


先祖:医者とされる

父:ビンチェンツィオ・ガリレイ(音楽家)
母:ジュリア・アマナッティ
弟:ミケランジェロ・ガリレイ(音楽家)

内縁の妻:マリナ・ガンバ(6歳ほど下)

子供
長女:ビルジニア(1600年~1634年)
次女:リビア(1601年~1659年)
長男:ビンチェンツィオ(1606年~1649年)



■1564年2月15日、イタリアのピサで父・ビンチェンツィオ、母・ジュリアの長男として生まれた

■弟4人、妹2人がいた

■父親のビンチェンツィオはフィレンツェで有名な音楽家で、歌手であり楽器リュート演奏の名人で音楽評論家だった。そして呉服商も営んでいた

■母親のジュリア・アマナッティはピサとフィレンツェの間のペシアという小さな町で生まれた。実家は裕福なようで、結婚する時、多くのお金とウールの布地を持たせてもらっている


※参考文献
『ガリレオ オールカラー世界の伝記』(小学館)


略歴
■ガリレオ・ガリレイ
【1564年~1642年】イタリアの物理学者、天文学者、哲学者。科学的手法の開拓者の一人としても知られている。その業績から天文学の父と称される。1973年から1983年まで発行されていた2000イタリア・リレ(リラの複数形)紙幣にガリレオの肖像が採用された

吉野正芳 家族

吉野正芳(衆議院議員)家系・夫人


父:吉野幾重(2004年、87歳で死去)
妻:
子供


■環境副大臣、衆院原子力問題調査特別委員会委員長、衆議院東日本大震災復興委員長などを経て、2017年4月、復興大臣に就任

■福島県議会議員時代は農林水産常任委員長等を歴任

■福島第一原子力発電所事故の第一義的責任を、東京電力ではなく国が負うべきと主張している

■林業を家業としており、若手林業を考える会会長も務めた

■特別養護老人ホームを運営した経緯もあり、高齢者福祉に関しての経験が深く、2006年より衆議院厚生労働委員会理事を務めた


略歴
■吉野正芳(よしの・まさよし)
日本の政治家、実業家。衆議院議員。吉野木材株式会社取締役。社会福祉法人ハートフルなこそ理事長。1948年8月8日、福島県いわき市で生まれる。早稲田大学第一商学部卒業後、家業の吉野木材株式会社に入社。福島県議会議員(3期)を経て、2000年、衆議院議員総選挙に自由民主党公認で福島5区から出馬し、初当選

ナイチンゲール 子孫

フローレンス・ナイチンゲール家族


叔母:マイおばさん

父:ウィリアム
母:ファニー
姉:パーセノープ(1歳上)


■1820年5月12日、イタリアのフィレンツェで生まれた。フィレンツェの英語読みが、フローレンスなので、フローレンスと名付けられた

■父親のウィリアム・ナイチンゲールはおじから財産を受け継いだので大金持ちであった。生活のために働く必要もなかった

■ナイチンゲールの家族は上流階級だったので、職業を持つことじたい反対された。当時、貴婦人で職業を持つ人はほとんどいなかった。それに、当時の病院は「ゴミ箱」のようなところであったので、看護婦はいやしい職業とされていた

■25歳の時に、ヘンリー・ニコルソンに結婚を申し込まれるが断る

■28歳の時に、リチャード・モンクトン・ミルンズに結婚を申し込まれるが断る。自分は一生家庭を持たないと決心する。

■生涯、独身を通し、子供はいない


※参考文献
著書『ナイチンゲール』
著者:アンジェラ・ブル
訳者:榊直子
発行所:佑学社


略歴
■フローレンス・ナイチンゲール
【1820年~1910年】イギリスの看護師。近代看護教育の母。社会起業家。統計学者。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。1907年 女性として初めて有功勲章(メリット勲章)を授かる

リンカーン 子孫

エイブラハム・リンカーン 家族・家系
(第16代アメリカ大統領)



祖父:インディアンに殺害された

実父:トーマス・リンカーン(農夫、大工)
実母:ナンシー・ハンクス(34歳で死去)
継母:サラ・ブッシュ・リンカーン

実姉:サラ(2歳上。21歳で死去)

妻:メアリー・トッド・リンカーン

子供
長男:ロバート(第35代陸軍長官)
次男:エディ(3歳で病死)
三男:ウィリー(11歳で病死)
四男:トーマス(18歳で病死)


・マミー・リンカーン
・エイブラハム・リンカーン2世
・ジェシー・ハーラン・リンカーン


■エイブラハム・リンカーンは、1809年2月12日に、アメリカ西部のケンタッキー州の開拓地で生まれた

■父親は、無学な開拓農民で、字をきちっと読めないだけでなく、自分の名前も正しく書けなかった

■リンカーンは、新しく母親となるサラ・ブッシュの荷物の中に『聖書』『ロビンソー・クルーソー』『イソップ物語』『船乗りシンドバッド』『天路歴程』という5冊の本が入っていたのを見つける。リンカーンはその時、初めて本というものを手に取る。母親も本を読むことを勧めたので、それ以来、読書家となった。近所の人からも本を借りて読んだ

■子供は息子が4人生まれたが、成人まで生きたのは長男のロバートだけであった


※参考文献『リンカーン』(フォア文庫)(著者:内田庶)(絵:金成泰三)


略歴
■エイブラハム・リンカーン
【1809年~1865年】アメリカ合衆国の政治家、弁護士。第16代アメリカ合衆国大統領。ケンタッキー州で誕生

フレッド・コレマツ 子孫

フレッド・コレマツ 家族・子供
(権利擁護活動家)



父:カクサブロウ・コレマツ(日本人)
母:日本人
兄:ヒロシ
兄:タカシ
弟:ジンイチ

妻:キャサリン・ピアソン(細菌学者)

長女:カレン(1950年に誕生)
長男:ケネス(1954年に誕生)



■父親のカクサブロウ・コレマツは1900年代のはじめにアメリカでバラ園芸場をはじめた。その頃、カクサブロウのような日系移民はアメリカで成功するのは難しかった。アメリカの西海岸に住む人々が後からやって来たアジア系の移民を嫌っていたことが一つの理由であった

■フレッドは1919年1月30日に、カリフォルニア州のオークランドで4人兄弟の3男として生まれた。本名はトヨサブロウ・コレマツ。フレッドの両親は、3人目の息子が豊かな人生を送れるようにという願いを込めてトヨサブロウと名付けた

■フレッドは一家が所有する約10ヘクタールの大きな園芸場のなかに建つ、小さな家で育った


※参考文献
『正義をもとめて 日系アメリカ人フレッド・コレマツの闘い』


関連サイト
フレッド・コレマツ語録
http://meigennooukoku.net/blog-entry-4272.html


略歴
■フレッド・トヨサブロー・コレマツ
【1919年~2005年】権利擁護活動家。日本名は是松豊三郎(これまつ・とよさぶろう)。第2次世界大戦期のアメリカ合衆国における、日系人の強制収容の不当性を訴えた

ペトレ 子孫

ペトレ一族の家系・子供


エルジエン・ペトレ(金栗四三を介抱)


・ボー・ペトレ(考古学を研究)
・ジオ・ペトレ(有名な女優)

ひ孫
・タチアナ
・ヨハン
・ヴァネッサ(ストックホルムでイベント会社を経営)


■ペトレ家当主はユージン・ペトレという

■1912年に開催されたストックホルムオリンピックのマラソン競技に、日本初のオリンピック選手として金栗四三(かなぐり・しぞう)が参加した。しかし途中で体調をくずし意識もうろうとしながら、ペトレ家の庭に迷い込んだ。この時にペトレ家は皆で金栗を介抱した。このことが現在でも美談として語り継がれている

■金栗四三を介抱した一人、ペトレ家のベンドク・ペトレ(ユージン・ペトレの息子)は当時のことをこう振り返る
「カナクリ選手が奥の道を通って庭にさまよい込んで来た時のことは、とてもよく覚えています。彼はフラフラと入り込んできて、庭の長いテーブルのところの椅子に座り込みました。言葉を掛けるがわからない。スウェーデン語じゃ通じないのだということで、近所に住む非スウェーデン人のオストバーグという人を呼んできました」

「オストバーグは英語で話しかけ、カナクリも英語で『自分は東京の大学生だ』と答えたという


参考文献
『箱根駅伝に賭けた夢 「消えたオリンピック走者」金栗四三がおこした奇跡』

三島弥彦 子孫

三島弥彦(陸上選手)家族・妻・子供


祖父:三島通純(薩摩藩士)

父:三島通庸(薩摩藩士。警視総監)
兄:三島彌太郎(第8代日銀総裁)
甥:三島通陽(小説家。参議院議員)

親戚:本野一郎(駐露大使)


■三島家は藩の鼓指南役の家柄であったが、示現流剣術とともに伊地知正治から兵学を学んだ

■父親の三島通庸(みしま・みちつね)は、県令時代は反対派を押し切り強力に土木工事を進める手法から「土木県令」や「鬼県令」の異名で呼ばれた

■兄の三島 彌太郎(みしま・やたろう)は、貴族院議員、横浜正金銀行頭取、第8代日本銀行総裁などを歴任した。徳富蘆花の小説『不如帰』の登場人物、川島武夫のモデルでもある

■三島の身長は170cmを超える長身であった(当時の成人男性の平均身長が155cm前後)

■日本初のオリンピック代表選手として1912年開催のストックホルムオリンピックに参加した


略歴
■三島弥彦(みしま・やひこ)
【1886年~1954年】明治期の陸上選手。日本初のオリンピック代表選手として1912年開催のストックホルムオリンピックにマラソンの金栗四三とともに参加した。東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区)出身。2歳のとき父を失い、学習院を経て東京帝国大学(現・東京大学)法科に進学

嘉納治五郎 子孫

嘉納治五郎(柔道の父)家族・子供


祖父:治作(酒造・廻船にて名をはせた)

父:嘉納治朗作
母:定子

長兄:寅太郎(久三郎)。農場経営
次兄:亀松(謙作)
長姉:柳子。南郷茂光に嫁ぐ
次姉:勝子。柳楢悦に嫁ぐ

妻:須磨子(外交官で漢学者の竹添進一郎の娘)

長男:竹添履信(洋画家)
次男:嘉納履正(全日本柔道連盟初代会長)
長女:哲学博士、綿貫哲雄に嫁ぐ


・南郷次郎(海軍少将)
・九里四郎(加賀藩前田家家老・九里家養子に)
・柳宗悦(民藝運動を起こした思想家、美学者)


・嘉納行光(講道館館長、全日本柔道連盟会長)


■柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた

■「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる


※参考文献
『箱根駅伝に賭けた夢』


関連サイト
嘉納治五郎語録
http://meigennooukoku.net/blog-entry-1425.html


略歴
■嘉納治五郎(かのうじ・ごろう)
【1860年~1938年】日本の柔道家、教育者。兵庫県平民。『講道館柔道』の創設者。昔ながらの格闘技・柔術の技術体系を整え精神性を加えることで、世界中で親しまれている柔道を完成させた。その功績から『柔道の父』と呼ばれる
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