大橋光夫 家族

大橋光夫(昭和電工12代目社長)家系


祖父:浜口雄幸(第27代内閣総理大臣)
祖父:大橋常三郎(陸軍少将)
伯父:浜口巌根(日本長期信用銀行頭取)

父親:大橋武夫(労働大臣、運輸大臣)
母親:富士子 (浜口雄幸の末娘)
義父:岩佐凱実(富士銀行頭取を歴任)

兄:宗夫(NTT常務)

妻:清子(岩佐凱実富士銀行頭取の長女)

子供
長男:1965年誕生。銀行員
次男:1966年誕生。弁護士


■1936年1月18日、東京帝国大学医学部付属医院で生まれた

■生後すぐに、小石川区小日向水道町に転居。母方の祖父・浜口雄幸(第27代内閣総理大臣)邸に隣接する質素な借家であった

■父親の武夫は東京帝大に進み、公務員採用試験の高文試験を1番で合格し内務官僚となる。その後、自由民主党所属の衆議院議員、労働大臣、運輸大臣などを歴任した

■義父の岩佐凱実(いわさ・よしざね)は、安田銀行常務、富士銀行頭取、経済同友会代表幹事、経団連副会長などを歴任した

■兄の宗夫は都立日比谷高校から東大、大蔵省に進む。その後、損保ジャパン総合研究所顧問、NTT常務などを歴任。妻は昭和電工8代目社長の安西正夫の娘

■妻の清子は学習院大学を卒業。中等科から学習院で硬式テニス部に所属した。全国高校庭球選手権大会の団体戦で優勝した実績がある

※参考文献
『日本経済新聞(私の履歴書)』


関連サイト
大橋光夫語録
http://meigennooukoku.net/blog-entry-4232.html


略歴
■大橋光夫(おおはし・みつお)
日本の実業家。昭和電工社長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長、公益財団法人日本台湾交流協会会長、みずほフィナンシャルグループ社外取締役などを歴任。1936年1月18日、東京で生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業
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チャールズ・ティファニー(ティファニー家)子孫

ティファニー(創業者)家系・子供


息子:ルイス・ティファニー


■息子のルイス・カムフォート・ティファニーは1902年 、父・チャールズ・ティファニーが死去すると、ティファニー本社のアーティスト・ディレクター部門顧問に就任

■ルイス・カムフォート・ティファニーはガラス器やステンドグラスの工芸家、インテリアデザイナーとして名高い

■ティファニーは、世界的に有名な宝飾品および銀製品のブランドである

■一番初めの店はニューヨークのブロードウェイ259番地におかれた

■1848年フランスでの二月革命発生に伴い、貴族から重要な宝石を買い入れ、宝石事業に進出した

■日本では、クリスマスなどの贈り物としてオープンハートのペンダントが人気である


略歴
■チャールズ・ルイス・ティファニー 
ティファニー社の創業者。1837年9月18日にジョン・B・ヤングと、ティファニーの前身であるティファニー・アンド・ヤングという会社を設立。1902年にチャールズ・ルイス・ティファニーは死去した

友近 家族

友近(タレント)家系


祖父:武雄(満州の復州城で銃殺された)
祖母:ハツ子(道後温泉で働いた)

父:勝之(JAえひめ全農の県本部長)
母:千鶴(占い師)
姉:柴垣祐子(一般人)


■祖母のハツ子は、夫が36歳で亡くなったので、道後温泉で朝から、晩まで働き、息子の勝之を育てあげた

■父親の勝之は夏目漱石も教壇に立ったことのある、進学校の松山東高校に進学する。その後、松山商科大学卒業。JAえひめ全農の県本部長を歴任した。空手の師範代でもあった

■1973年8月2日生まれ。愛媛県松山市市坪町出身

■松山東雲高等学校、松山東雲女子大学人文学部卒業。大阪NSC23期生

■大学卒業後、愛媛県内の旅館(道後温泉大和屋)の仲居として働く。その後、芸能界入りした


※参考文献
NHKファミリーヒストリー(2017年1月19日放送)


■略歴
友近(ともちか)
日本のお笑いタレント、ものまねタレント。女優。本名は友近由紀子(ともちか・ゆきこ)。2001年、新人お笑い尼崎大賞優秀賞。2003年、NHK上方漫才コンテスト優秀賞。2013年、ものまね王座決定戦優勝。スリーサイズ:B94 W63.8 H90。身長154cn 。血液型B型。1973年8月2日生まれ。愛媛県松山市市坪町出身。松山東雲女子大学人文学部卒業

フランシス・バーネット 子孫

バーネット(小説家)家族・子供


父:エドウィン・ホジソン(貿易商)
母:エリザ・ブーンド(家賃集金人の娘)

夫:スワン・バーネット(眼科医)

長男:ライオネル(成人する前に死去)
次男:ビビアン(パリで出産)

孫:1916年、ビビアンの長女誕生
孫:1918年、ビビアンの次女誕生


■1849年11月24日、イギリスの工業都市マンチェスターで生まれた

■父・エドウィン・ホジソンは家具類を扱うホジソン商会を経営しており、繁盛していたので、一家は裕福であった

■しかし、フランシスが4歳の時に父が亡くなる。店の経営は母が継いだが、うまくいかず、イギリスが大不況に見舞われたこともあり、ホジソン商会は破産

■一文無しになった一家は、母方のおじを頼り、アメリカ大陸に渡った

■24歳の時に医者のスワン・バーネットとワシントンで結婚

■次男のビビアンは金髪で美しい子供であったので、すっかり気に入り社交界などに良く連れていった。この次男のビビアンが『小公子』の主人公、セドリックのモデルになったとされる

■ニューヨーク州プランドームで余生を送り、1924年10月29日、74歳で死去


※参考文献
『小公子』(少年少女世界文学館)
著 者:バーネット
翻訳者:村岡花子


関連サイト
バーネット語録


略歴
■フランシス・ホジソン・バーネット
【1849年~1924年】アメリカの小説家、劇作家。バーネット夫人の名で知られる。 代表作:『小公子』『小公女』『秘密の花園』など。1849年11月24日、イギリスのマンチェスターで生まれる。10代でアメリカのテネシー州ノックスヴィルへと移住した

宮本和知 家族

宮本和知(投手・タレント)家系


曽祖父:片岡福太夫(鯨漁をする漁師。羽刺)

祖父:重太郎(腕利きの漁師)
祖母:フク(女相撲の横綱)

父親:明智(漁師を辞めて工場勤務をした)
母親:順子

前妻:一般人女性。離婚する
後妻:若柳きらら(12歳年下の日本舞踊家)

一人娘:沙耶乃


■曽祖父の片岡福太夫は捕鯨漁のリーダー、羽刺(はざし)であった。羽刺は鯨の背に乗って息の根を止める役割を担う、「鯨組」のなかでもヒーロー的存在である

■父親の明智(めいち)は家族を支えるため、漁師を辞め、船を売り、三井金属の工場に勤務し、実家に仕送りを続けた。臨時工で雇われたが仕事ぶりが認められ三井金属の正社員になる。44歳で作業副長に就任。最後は常昼作業長まで登りつめた。学歴もなく、臨時工からスタートしたが、仕事ぶりと人柄が認められての異例の出生であった

■2008年9月、12歳年下の日本舞踊家(正派若柳流)・若柳きららと再婚したことを「ズームイン!!サタデー」で発表した

■若柳流(わかやぎりゅう)は、日本舞踊の流派のひとつである。手振りの多いことが特徴で、品のある舞踊と評される


※参考文献
NHKファミリーヒストリー(2017年1月12日放送)


略歴
■宮本和知(みやもと・かずとも)
プロ野球選手(投手)、司会者、タレント、スポーツコメンテーター。身長178cm。1964年2月13日生まれ。山口県下関市出身。高校卒業後、社会人野球の川崎製鉄水島製鉄所野球部へ入団。読売ジャイアンツに入団。左のエースとして、先発ローテンションの一角を担った。現役引退後は、タレント、スポーツコメンテーターとして活躍。2007年、芸能人女子フットサルチーム「XANADU loves NHC」の監督に就任

与謝野馨 家族

与謝野馨(衆議院議員)家系・子供


曽祖父:与謝野礼厳(僧侶)

祖父:与謝野鉄幹(歌人。妻と文化学院創設)
祖母:与謝野晶子(歌人。夫と文化学院創設)

父:与謝野秀(外交官)
母:道子(評論家。父は事業家の坂内虎次)
弟:与謝野達(野村證券国際金融担当顧問)
妹:与謝野文子(美術評論家、フランス文学者)

妻:とも子(主婦の友社の創業家・石川家の出)

甥:与謝野信(ケンブリッジ大学経済学部卒業)


■政策通で知られ官房長官時代は、各省庁の官僚が作成した問答集を事前に見ることもなく、記者の質問に答えていたが、答えは官僚が作成した問答集とほぼ同じであったという。与謝野いわく、日ごろから勉強していたらだいたい答えは同じになるとのこと


■囲碁の腕前はアマ七段で、政界最強と評されたが、2007年10月に小沢一郎と勝負して敗北している


関連サイト
与謝野馨(衆議院議員)語録
http://meigennooukoku.net/blog-entry-4281.html


略歴
■与謝野馨(やさの・かおる)
日本の政治家。衆議院議員(10期)。内閣官房長官(第74代)、財務大臣(第11代)、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策、規制改革担当)、通商産業大臣(第63代)、などを歴任した。身長169cm。体重63kg 。1938年8月22日、現在の東京都千代田区で生まれる。 東京大学法学部卒業

小野政直 子孫

小野政直(武将)家族・末裔・子供


先祖:京都の貴族につながる名門

父親:小野兵庫助

子共
・小野政次(父の後を継いで筆頭家老になる)
・道好(武将。遠江国引佐郡井伊谷の人)
・朝直(井伊直親の正室と同じく、奥山氏の娘と結婚)
・ほか諸説あり

孫:小野朝之(遠江国引佐郡井伊谷の人。朝直の子)


■天文23年(1554年)没。跡は子の道好が継いだ

■京都の貴族につながる名門で小野篁(おのの・たかむら)や小野道風(おのの・みちかぜ)などを輩出した皇別氏族・小野朝臣の末裔であり、元は豊田郡小野村に住んでいた一族が井伊氏に招かれて引佐郡小野村に移ったとされる

■井伊家の筆頭家老として当主、直盛を支えたが、今川氏との関係を重視する政策をとり、家中の反発を一身に受ける。さらに、今川氏への密告により、井伊直満を誅殺に追い込んだうえ、その子・亀之丞(後の井伊直親。女城主・井伊直虎の婚約者)を井伊谷から追いやった



小野政直(おの・まさなお)
【不詳~1554年】戦国時代の武将。遠江国引佐郡井伊谷の国人。井伊家の筆頭家老。名前は道高とも。通称は和泉守(いずみのかみ)。今川氏との関係を重視する政策をとり、やがて井伊家の内偵役として今川氏から重要された

井伊直親 子孫

井伊直親(武将)家族・末裔・隠し子


実父:井伊直満(戦国武将。今川氏の家臣)
実母:不詳

養父:井伊直盛(女領主となった井伊直虎の父)

婚約者:井伊直虎(遠江井伊谷の女城主)。結婚はせず


正室:奥山親利(ともとし)の娘

子共:井伊直政(井伊家第24代当主)

■隠し子
直親には南信州で直政の他に吉直(よしなお)という息子がいたとされる。相手の女性は、島田村の代官・塩沢氏の娘。後に高瀬姫(たかせひめ)と呼ばれ、直政の家臣・川手主水良則(かわてもんどよしのり)の妻となった。吉直の子孫が飯田城下町で麹屋を創業し、旧姓の井伊氏を名乗って代々島田屋の屋号で飯田藩御用達として栄えた。明治初期、当主が蘭学者を志したために、麹屋は別家に委ねたが、家系はいまもなお存続しているらしい

※参考文献
『2017年大河ドラマ おんな城主の直虎』


井伊直親(いい・なおちか)略歴
戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国の国人井伊氏当主。女城主・井伊直虎の婚約者。笛の名手だったといわれる。幼名は亀之丞(かめのじょう)といった。父の直満が小野政直の讒言(ざんげん)によって今川義元に殺害されたため、信濃国の松源寺(しょうげんじ)へ亡命。成人後に井伊谷に帰還したが、婚約者の直虎が出家していたため、奥山親利の娘と結婚し、虎松(後の直政)をもうけた

小林幸子 家族

小林幸子(演歌歌手)家系・子供


祖父:宮崎酉吉(農業を営む。トマトを栽培)
祖父:小林三郎(近所の農家。小林精肉店開業)

父:小林喜代照(陸軍に志願。歌が上手だった)
母:宮崎イツ(近所の農家)

姉:静江
姉:照子

夫:林明男(8歳年下の会社経営者)

親戚:小林まこと(漫画家)


■1953年12月5日、三姉妹の末っ子として新潟県の代々の農家の家系に生まれる

■母方の祖父・宮崎酉吉(とらきち)は、地域で初めてトマト栽培をした

■両親はお見合いで結婚した

■夫の父親は父・喜代照と戦友同士であった

■1963年、9歳の小学4年生の時にTBS『歌まね読本』でグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトされる

■2000年、日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨受賞

■2004年、第55回NHK紅白歌合戦で自身2度目の紅組トリ、初の大トリを務める


※参考文献
2017年1月5日放送NHKファミリーヒストリー


略歴
■小林幸子(こばやし・さちこ)
日本の演歌歌手、女優、タレント、実業家。2007年、長岡市に『越後絶唱』の歌碑が建立される。新潟市より、「新潟市観光大使」に任命される。血液型はA型。身長165cm。1953年12月5日生まれ。新潟県新潟市中央区出身

南渓瑞聞 子孫

南渓瑞聞(龍潭寺住職)家族・末裔・子供


父親:井伊直平(今川氏の家臣。遠江国の国人井伊氏当主)
大姪:井伊直虎(戦国の女城主。井伊氏第24代当主井伊直政の養母)


■井伊直平の息子、あるいは養子だとされ、井伊直虎の大叔父にあたる

■龍潭寺の2世住持で、南渓和尚とも呼ばれた。今川義元の葬儀を取り仕切る安骨大導師なども務めた

■直虎が「次郎法師」と名乗って出家した時の師でもある

■直虎の婚約者だった亀之丞(後の直親)の松源寺への亡命や、直虎の家督相続などに尽力し、たびたび井伊家の危機を救った。直虎の指南役的存在であった


関連サイト
南渓瑞聞語録
http://meigennooukoku.net/blog-entry-4215.html


南渓瑞聞(なんけい・ずいもん)略歴
【生年不詳~1589年11月6日)】戦国時代の僧侶。臨済宗龍潭寺二世住職。南渓和尚とも呼ばれた。龍潭寺(りょうたんじ)は、静岡県浜松市北区にある臨済宗妙心寺派の寺院である。井伊家と宗良親王(後醍醐天皇の皇子)の菩提寺であったとされる。天平5年(733年)、行基(ぎょうき)によって開かれたといわれる地蔵寺(じぞうじ)が起源。寛治7年(1093年)に、井伊家の始祖・井伊共保(いい・ともやす)の菩提寺となって自浄院(じじょういん)と呼ばれ、南北町時代には宗良親王の追福のために冷湛寺(れいたんじ)と改称。天文元年(1532年)に井伊直平が臨済宗に改宗したのを機に龍泰寺(りゅうたいじ)と改められ、永禄3年(1560年)に井伊直盛の法号から龍潭寺(りょうたんじ)と改称された
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