鷹司信子(将軍綱吉の妻)

鷹司信子(たかつかさ・のぶこ)略歴
1651年~1709年(慶安4年 宝永6年)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の正室。左大臣従一位鷹司教平の娘。母は冷泉為満女(鷹司家譜)。兄に関白鷹司房輔、妹に霊元天皇中宮鷹司房子(新上西門院)がいる。また、6代将軍徳川家宣の御台所近衛熙子とは再従姉妹の関係である。夫・綱吉の死から一月も経たないうちに死去。59歳で没。戒名は「浄光院殿円巌珠心大姉」。墓所は東京都台東区の寛永寺。そのあまりに急な死に、実は綱吉は信子と御台所付御年寄・伊豆局の手によって殺害され、信子はその後自害したという俗説(『日光邯鄲枕』)も残っている。また夫婦仲が悪かったことから信子が綱吉を殺害し、その後に自害したとの俗説もあるがどちらも信憑性は乏しい

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吉良富子(吉良上野介の妻)

吉良富子(きら・とみこ)略歴
1643年~1704年(寛永20年~宝永元年)江戸時代前期、吉良義央(上野介)の妻。層祖父が上杉謙信。2代出羽米沢藩主上杉定勝の四女として生まれる。母は生善院(近衛家家司斉藤本盛娘)。幼名は参姫(三姫)。万治元年家旗本吉良義冬の公子・義央に嫁いだ。30万石の国主大名上杉家の姫が、四位の高家とはいえ石高で言えば4200石しかない旗本吉良家に嫁ぐというのは大変異例であった(富子の姉たちは肥前佐賀藩主鍋島光茂や加賀大聖寺藩主前田利治などに嫁いでいる)。家臣からも反対者が出たが、この縁組は幕命であったため拒否できなかった。また、兄綱勝が保科正之の娘を正室に迎えていたとはいえ、有力幕閣と縁戚関係の少なかった上杉家にとって、大老酒井忠勝を大叔父に持つ義央との婚姻は貴重であった。さらに、吉良家が室町時代からの婚姻関係によって上杉家・八条上杉家の血を引いているという事情もあった。元録15年、夫が赤穂浪士に討たれたのちは剃髪 (ていはつ)して梅嶺院(ばいれいいん)と称した。宝永元年8月8日62歳で死去。


関連サイト
大石内蔵助語録 http://bit.ly/yUIki8

大石りく(大石内蔵助の妻)

大石理玖(りく)


内蔵助の妻。内蔵助との間に三男二女をもうけた。赤穂城開城の後、内蔵助や子供たちとともに京都の山科に移り、長男・主税が元服した翌年の春、内蔵助から離縁された。世にいう"山科の別れ"である。夫は吉良邸討ち入りに成功。夫と長男の主税が切腹した後、理玖は正福寺で冥福を祈る生活を続け、香林院と名乗った。赤穂の浪士たちの行為は人々に感銘を与え、理玖や大三郎が有名になると赤穂浅野家の本家にあたる広島から仕官の話が舞い込む。大三郎は父・良雄と同じ1500石という破格の条件で召抱えられ、理玖と一緒に広島へ移った。離婚の真相を内蔵助が語ることはなかったが、理玖は夫の真意を悟っていたとされる。武士の妻の鏡として語り継がれる女性のひとりである。

誕生の地
理玖は豊岡市京町にあった石束家の屋敷で生まれたとされる。現在、約50メートル南側に「大石陸女生誕之地」の碑が建立されている。当時は城山(神武山)のふもとに陣屋、それをとりまくように家老級の屋敷があり、東側の広い範囲を石束本家が占めていた。


関連サイト
大石内蔵助語録 http://p.tl/Rlmc

吉村作治 家族

吉村作治(エジプト考古学者)家族・子共



元妻:エジプト人
長女:吉村佳南(よしむら・ かなん)・・・エジプトで活躍する女優


※エジプト留学中に現地人の女性と恋に落ち、婚約し結婚するが、家族旅行の最中、ラーメンを食べているのを妻に見とがめられ(ラーメンは豚を使うので)、速攻離婚され、以後独身主義者となる。


関連サイト
吉村作治語録 http://bit.ly/1fjlmyS


吉村作治(よしむら・さくじ)略歴
日本の考古学者、工学博士、早稲田大学名誉教授。日本におけるエジプト考古学の第一人者で、衛星写真分析などのハイテクを導入した調査方法で遺跡を発掘する手法が評価されている。1943年2月1日東京都新宿区で生まれた。

小澤征爾 家族

小澤征爾(指揮者)家系・家族・子供



父:小澤開作(歯科医師、満州国協和会創設者の一人)
母:さくら
長兄:小澤克己(彫刻家)
次兄:小澤俊夫(ドイツ文学者、筑波大学名誉教授)
弟:小澤幹雄(俳優でテレビ・リポーター)
前妻:江戸京子(三井不動産元社長の江戸英雄の娘。1966年に離婚)
後妻:入江美樹(ファッションモデル兼デザイナーで母は料理研究家の入江麻木)
娘:小澤征良(せいら)・・・作家・エッセイスト
息子:小澤 征悦(ゆきよし)・・・俳優
甥:小沢健二(ミュージシャン)


※父親の同志で満州事変の立役者となった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰って「征爾」と命名された。

※入江美樹の父親はロシア人で娘と息子は入江美樹との間で生まれた。


参考文献『私の履歴書』


関連サイト
小澤征爾語録 http://bit.ly/1iWbH6R


小澤征爾(おざわ・せいじ)略歴
日本の指揮者。2002年~2003年のシーズンから2009年~2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。1935年9月1日満洲国奉天市(中国瀋陽市)生まれ

牛尾治朗 家族

牛尾治朗(ウシオ電機創業者)家系・家族・子共



祖父:牛尾梅吉(実業家。姫路商工会議所の2代目会頭)
父:健治(姫路銀行頭取。中国合同電を中心に電力・電機事業を手がけた)
母:美津子
姉と兄あり
妻:人見春子(日本航空の太平洋線のキャビンアテンダント)
長女:幸子(嫁ぎ先が安倍晋三の兄で三菱パッケージング社長の寛信)
長男:志朗(妻がフジテレビ元アナウンサーの中村奈緒美)


■牛尾家は、代々姫路駅近辺の大地主だったが、祖父・梅吉は次男坊で後継ぎではなかった。そのため早くから家を出て商売を行い実業家となった。

■ウシオ電機は前身が中国合同電気の電球製造部門が独立した姫路電球であり、同社から産業用特殊光源の製造部門が独立したのが現在のウシオ電機に至っている。


参考文献:『私の履歴書 経済人35』


関連サイト
牛尾治朗語録 http://bit.ly/QjHKgB


牛尾治朗(うしお・じろう)略歴
1931年~(昭和6年~)ウシオ電機創業者。兵庫県生まれ。昭和28年、東京大学法学部卒。東京銀行(現・三菱東京UFJ)を経て兄の経営するウシオ工業に入社。昭和38年、ウシオ電機を設立して社長に就任。昭和44年、日本青年会議所会頭。平成7年、経済同友会代表幹事

三國連太郎 家族

三國連太郎(俳優)家系図・家族・子孫



母親は16歳で一家が離散し広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國連太郎を身籠り追い出されて帰郷した。たまたま静岡県沼津駅で知り合った父親となる人物の仕事先だった群馬県太田市で結婚し三國が生まれた。このため三國は私生児となる。この育ての父親は電気工事の渡り職人であった。

長男:佐藤浩市(俳優)
※4度結婚し、3番目の妻との間に生まれた息子である。


関連サイト
三國連太郎語録 http://bit.ly/14pJYo4


三國連太郎(みくに・れんたろう)略歴
【1923年~2013年】日本の俳優。群馬県太田市生まれ。身長181cm、体重75kg。本名は佐藤政雄(さとう・まさお)。主な作品『釣りバカ日誌』シリーズ 、『ビルマの竪琴』、『飢餓海峡』、『にっぽん泥棒物語』、『利休』、『息子』、『襤褸の旗』など。

野村萬 家族

野村萬(野村万蔵・7世)家系図・家族・子共



祖父:初世野村萬斎(狂言方能楽師)
父親:六世野村万蔵(狂言方能楽師)
母親:梅子
叔父:七世三宅庄市(狂言方能楽師)
弟:二世野村万作(狂言方能楽師)
弟:野村四郎(シテ方能楽師)
弟:野村万之介(狂言方能楽師)
従弟:和泉元秀(狂言方能楽師)
従弟:三宅右近(狂言方能楽師)
妻:登美子(建築金物を取り扱う会社の社長の娘。東京女子大卒)
長男:耕介(八世野村万蔵・狂言方能楽師)
長女:良美
次男:良介(九世野村万蔵・狂言方能楽師)
甥:二世野村萬斎(狂言方能楽師、俳優)
甥:野村万禄(狂言方能楽師)
従姪:十世三宅藤九郎(俳優)
従甥:和泉元彌(俳優[註釈)
孫:太一郎(耕介の息子)


参考:『私の履歴書』


関連サイト
野村萬(野村万蔵・7世)語録 http://bit.ly/1bLhMPQ


野村萬(のむら・まん)略歴
日本の狂言方和泉流能楽師。公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長、公益社団法人能楽協会理事長。1930年(昭和5年)1月10日六世野村万蔵の長男として東京府に生まれた。本名は野村太良(のむら・たろう)。旧名に四世野村万之丞(よんせいのむら・まんのじょう)、七世野村万蔵(しちせいのむら・まんぞう)。

市川中車 家族

市川中車九代目(歌舞伎役者・俳優)家系・子共



祖父(父方):三代目市川段四郎
祖母(父方):高杉早苗(女優)
叔父(父方):四代目市川段四郎
叔母(父方):市川靖子(女優)
叔母(母方):浜由理子(元タカラジェンヌで宝塚歌劇団47期生)
父親:歌舞伎役者の二代目市川猿翁
母親:浜木綿子(元宝塚歌劇団雪組娘役トップスターで現在は女優)
妻:知子(元客室乗務員)
長男:政明(五代目市川團子)
従弟:四代目市川猿之助


※本名は香川照之(かがわ・てるゆき)
※両親は幼少の時に離婚し、母親の浜が照之を引き取り、女優活動を続けながら女手一つ
で育てあげた。


関連サイト
香川照之語録 http://bit.ly/WlzAn3


九代目市川中車(いちかわちゅうしゃ)略歴
日本の俳優、歌舞伎役者。本名は香川照之(かがわ・てるゆき)。屋号は澤瀉屋。定紋は大割牡丹、替紋は片羽車。1965年12月7日生まれ。父は歌舞伎役者の二代目市川猿翁。母は元宝塚歌劇団雪組娘役トップスターで現在は女優の浜木綿子。東京都出身。東京大学文学部卒業

孫正義 家族

孫正義(ソフトバンク創業者)家系・子共



父:孫三憲(在日韓国人実業家。消費者金融、密造酒、パチンコ業等)
母:(李)玉子
兄:正明
弟:正憲
弟:泰蔵(ガンホー・オンライン・エンターテイメント(JASDAQ上場)会長)
妻:優美(学生時代に結婚した)
娘あり
孫あり


※祖父は、故郷である韓国南東部の大邱(テグ)から日本の九州に渡り、筑豊炭鉱で炭鉱労働者をやっていた。後に小作農として佐賀県鳥栖市に住みついた。

※孫家は、高麗将軍の孫幹を先祖に持つ、韓国では代々武門の誉れ高い家柄であった。韓国には、孫家の者しか入ることのできない、土で盛ったいわゆる古墳のような大きな墓があるという。祖父はその23代目にあたる。


関連サイト
孫正義語録http://bit.ly/1fg922V


孫正義(そん・まさよし)略歴
ソフトバンクグループ創業者。1957年、佐賀県鳥栖市生まれ。久留米大学付属高校中退。米カリフォルニア大学バークレー校(経済学部)卒。在学中に音声装置付き多国語翻訳機の試作機を開発して、当時シャープの専務であった佐々木正氏に一億円で買い取られる。その後、佐々木氏はソフトバンクの相談役となる。昭和56年24歳で日本ソフトバンク(現ソフトバンク)を設立して社長に就任。平成2年ソフトバンク株式会社に社名変更。1998年東証1部上場を果たす
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