カズオ・イシグロ 家族

石黒一雄 家系・妻・子供
(ノーベル文学賞)



父:石黒鎮雄(海洋学者)
母:日本人
妻:マクドゥーガル(英国人)


■1954年11月8日、長崎県長崎市で生まれる

■両親とも日本人で、本人も成人するまで日本国籍であったが、幼年期に渡英しており、日本語はほとんど話すことができない

■5歳のときに両親と渡英。大学では英文学と哲学を専攻し、大学院で創作を学んだ

■1982年、イギリスに帰化する。1986年にイギリス人ローナ・アン・マクドゥーガルと結婚する

■1989年に長編小説『日の名残り』でイギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞

■1995年に大英帝国勲章(オフィサー)、1998年にフランス芸術文化勲章を受章

■2017年、ノーベル文学賞受賞


略歴
■カズオ・イシグロ(漢字表記は石黒一雄)
日系イギリス人作家。2017年、ノーベル文学賞受賞。1989年に長編小説『日の名残り』でイギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞。1954年11月8日生まれ。長崎県出身。5歳の時に海洋学者の父・石黒鎮雄が北海で油田調査をすることになり、一家でサリー州・ギルドフォードに移住。デビュー作『遠い山なみの光』
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斉藤惇 家族

斉藤惇(実業家)家系・子供


祖父:市会議長
父:了(さとる)。英語教師
母:礼子(人吉出身)
妻:一般人
子供:娘がいる


■1939年10月18日、熊本県八代市で生まれた

■3男1女の3男である

■父親の了(さとる)は京都府宮津市の出身。山口高商を卒業。商社に勤めたが、恩師の薦めで熊本県人吉市にある旧制中学校の英語教師に転じた。この地で母とお見合いをして結婚する。以後、転勤を繰り返した。身長は180cmぐらいと長身であった

■母親の礼子は人吉の出身で、実家は球磨川の近くで旅館を経営しながら球磨焼酎の酒造も営んだ。幼い頃から踊りや三味線などを習った

■斉藤は野村証券の長崎支店から堺支店に移る直前に結婚した


※参考文献『日経新聞(私の履歴書)』


略歴
■斉藤惇(さいとう・あつし)
日本の実業家。野村證券株式会社副社長、住友ライフ・インベストメント株式会社最高経営責任者、株式会社産業再生機構社長、株式会社東京証券取引所代表取締役社長、株式会社東京証券取引所グループ取締役兼代表執行役社長、株式会社日本取引所グループ取締役兼代表執行役グループCEOなどを歴任した

笠置シヅ子 家族

笠置シヅ子(歌手)家系・子供


実父:香川県出身
養父:大阪の米屋
夫:吉本穎右(吉本興業御曹司)
子供:一人娘


■1914年8月25日、香川県大川郡相生村(現・東かがわ市)に生まれる

■諸事情あり生後間もなく、大阪市福島区の米屋の養女となった

■吉本穎右(ゆうすけ)とは1943年6月、穎右がまだ早稲田大学の学生の時に知り合う。笠置の方が9歳年上だったので、最初は姉、弟の関係であった

■穎右(ゆうすけ)との間に娘を授かるが、穎右は病気で24歳の若さで亡くなってしまう

■穎右(ゆうすけ)と死別後は、生涯独身を貫いた


略歴
■笠置シヅ子(かさぎ・シヅこ)
【1914年~1985年】日本の歌手、女優。戦後、「ブギの女王」として一世を風靡した。本名は亀井静子。代表曲『東京ブギウギ』『ジャングル・ブギー』『ホームラン・ブギ』など。主な出演映画『浮世も天国』『醉いどれ天使』『銀座カンカン娘』『漫画横丁 アトミックのおぼん 女親分対決の巻』『最後の特攻隊』など

藤田謙一 子孫

藤田謙一(実業家)家系・子供


実父:明石永吉(津軽藩士)
実母:とも
養父:藤田正三郎


■先祖は明石全登(安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将)

■1873年(明治6年)1月5日 、青森県弘前市に津軽藩士だった父・明石永吉、母ともの次男として生まれる

■5歳のときに、親戚の藤田正三郎の養子となり、藤田姓を名乗る

■明治法律学校(現・明治大学)に入学後、大蔵省に入る

■1901年、「天狗煙草」で知られる岩谷松平の岩谷商会の支配人となり、専売制で莫大な買収金を手にする

■これを資金に60以上の会社をつくり実業界に名を轟かせた

■台湾で後藤新平が民生長官として阿片、塩、樟脳の専売を進めていた頃、藤田謙一は後藤と強い繋がりをもつ

■53歳のとき、藤山雷太、指田義雄に次いで東京商業会議所の第3代会頭となる


略歴
■藤田謙一(ふじた・けんいち)
【1873年~1946年】日本の実業家。日本商工会議所初代会頭、貴族院議員、鈴木商店顧問を務めた。1946年(昭和21年)3月12日に死去。満73歳没

吉本せい 子孫

吉本せい 家系・家族・子供
(吉本興業創業者)



父:林豊次郎(米屋を営む)
母:ちよ(1864年生まれ)

弟:林正之助(吉本興業2・4代社長)
弟:林弘高(吉本興業3代社長)

夫:吉本吉兵衛(通称は吉本泰三)

長女:喜代子
次女:千代子(早世)
三女:峯子
長男:泰之(2歳で早世)
四女:吉子(早世)
五女:幸子
六女:邦子
次男:穎石(えいすけ)

孫がいる


■父親の林豊次郎は兵庫県の明石が故郷。維新後に大阪へ移住してきた。南同心町1丁目で米穀商を営むようになった

■母親のちよは新撰組と攘夷派浪士が京都の池田屋で斬りあった元治元年(1864年)に生まれた。彼女についての資料は乏しい

■夫の吉本泰三は大阪の荒物問屋「箸吉(はしよし)」の跡取り息子。温厚だが、演芸や花街での遊びを好んだ。せいが18歳の時に結婚。せいより3歳上

■次男の穎石(えいすけ)は戦後、「ブギの女王」で一世を風靡した、歌手で女優の笠置シヅ子と結婚。子供も出来たが病気で若くして亡くなる


参考文献
『女興行師 吉本せい 浪花演藝史譚』
『吉本せい お笑い帝国を築いた女』


略歴
■吉本せい(よしもと・せい)
【1889年~1950年】吉本興業創業者。芸能プロモーター。1889年12月5日、兵庫県明石市で米穀商の3女として生まれる。1913年、現・大阪市中央区東心斎橋に「吉本興行部」を設立。1932年、吉本興行部を改組する形で「吉本興業合名会社」を発足。1948年、吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組。会長に就任
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