上原勇作 子孫

上原勇作 家族・家系・子供
(元帥陸軍大将)


祖父:四位次兵衛(都城島津藩士)
実父:龍岡資弦(都城島津藩士。家老格)
実母:四位タカ

養父:上原(明治8年、上原家の養子となる)

妻:上原槙子(陸軍大将・野津道貫長女)

息子:勇次郎
息子:勇三郎
長女:愛子(貴族院議員・大塚惟精に嫁ぐ)
次女:尚子(大林組2代目社長・大林義雄に嫁ぐ)
三女:しず子(医師・小沢凱夫嫁ぐ。六麓荘に住む)

従兄弟:四位眞助
従姪:四位眞佐(帝人副社長・田宮豊治に嫁ぐ)

■田宮豊治の実父・田宮嘉右衛門は神戸製鋼所の創業者

■上原勇作は従姪にあたる田宮眞佐(旧姓・四位眞佐)を可愛がった


上原勇作(うえはら・ゆうさく)略歴
【1856年~1933年】明治~昭和期の陸軍軍人。陸軍大臣、教育総監、参謀総長を歴任。軍人としての最終階級は元帥陸軍大将。陸軍大臣、教育総監、参謀総長、元帥の「陸軍三長官」を歴任したのは帝国陸軍史上、上原と杉山元の2名のみである
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キッコーマン創業家茂木 子孫

茂木友三郎(10代社長)家系・子供


父:茂木啓三郎(キッコーマン6代社長)
母:とき(初代茂木啓三郎の養女)
弟:賢三郎(日本芸術文化振興会理事長)

妻:あつ子(実家は鎌倉で佐藤病院を開業)

子供
長男:修(おさむ)
長女:まり子
次男:諭(さとし)


■茂木家の先祖は女性だったという。大坂夏の陣で死亡した武将の未亡人が、男子一子と家僕を連れて関東に亡命。そしてたどり着いたのが今の千葉県の野田であった

■野田でコチャという豪農に助けられ、親切な扱いを受ける。そのとき食べさせてもらったのが手打ちソバであった。未亡人は野田に住む決心をしたという

■江戸時代になり茂木一族は、野田の地で、関東平野で醤油(しょうゆ)の原料となる大豆と小麦がとれたことから醤油を造りはじめる

■江戸川の水運もあって江戸に醤油を輸送することが可能であったこともあり、江戸に醤油を供給することで栄えるようになる

■1917年、分家を含めた茂木6家と近隣の高梨、堀切家が合同で「野田醤油」という会社を興し、創業時に200以上あった商標を1940年になって茂木佐平治家の「亀甲萬(キッコーマン)」に統一した

■東京オリンピックのあった1964年に商標を社名にして「キッコーマン醤油」となり、「キッコーマン」を経て、現在の持ち株会社の「キッコーマン」となった

■妻の曽祖父の平岡ひろしは、日本の野球の父、日本で初めてカーブを投げた人物で実業家であった


※参考文献
『新・経営者心得帳(佐藤正忠)』

池田長発 子孫

池田長発(池田筑後守)家系・子供


実父:池田長休(江戸時代後期の旗本)
養父:池田長溥(井原領主)

実兄:池田長顕(旗本、講武所総裁)

養子:長春


■幕府直参旗本の池田長休の四男として江戸に生まれ、井原領主・池田長溥の養子となった

■勝海舟と並ぶ優れた人物と評された

■池田家の家紋は蝶

■長発は27歳にして、34名からなる遣欧使節団を正使として率いることとなり、1863年12月にフランス軍の軍艦ル・モンジュ号で日本を出た

■上海やインド等を経由し、スエズからは陸路でカイロへ向かい、途中ギザの三大ピラミッドとスフィンクスを見学し写真を撮っている

■家督は実兄の池田長顕の五男で養子の長春に譲った


略歴
■池田長発(いけだ・ながおき)
【1837年~1879年】幕末の旗本で、備中国井原(岡山県)の領主であった人物。幕末に外国奉行を務め、文久3年(1863年)から元治元年(1864年)にかけて遣欧使節団を率いてフランスを訪問した。その後、開国論を唱えて蟄居処遇となるが、慶応3年(1867年)には軍艦奉行となった

小川勝也 家族

小川勝也(参議院)家系・妻・子供


父親:上川郡和寒町で鉄工所を経営
長男:小川遥資(ようすけ)


■北海道の上川郡和寒町の小さな鉄工所の息子として生まれ、「鍛冶屋のかっちゃん」と親しまれて育つ

■働き者で寡黙だった亡父からは「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「他人の飯を食え」などの人生訓を通じて、忍耐を学んだという

■趣味は読書、野菜づくり、囲碁。柔道初段

■座右の銘は「義を見てせざるは勇なきなり」


略歴
■小川勝也(おがわ・かつや)
日本の政治家。参議院議員。防衛副大臣(菅第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(鳩山由紀夫内閣)、参議院農林水産委員長・総務委員長・国家基本政策委員長等を務めた。1963年7月7日生まれ。北海道上川郡和寒町西町出身。日本大学法学部卒業。日大在学中は新聞奨学生だった。大学卒業後、鳩山邦夫衆議院議員の秘書となった

石毛直道 家族

石毛直道(文化人類学者)家系・子供


先祖:石毛胖庵(ばんあん)

曽祖父:教育者

父:敏治(国民学校校長)
母:喜与恵(実家は銚子市)
姉2人、妹3人の6人きょうだい

妻:卯女(うめ)
長女:哲学・倫理学の大学教授


■先祖は江戸時代に寺小屋を経営し、独学で書家になった石毛胖庵(ばんあん)

■石毛家は代々、教育者の家系である

■石毛直道は1937年11月30日、千葉市で生まれ、戦災や学校の教師であった父の転勤で幼少期は県内を転々とした

■父親の敏治は教育者だったので、戦後の闇市には手を出さず、配給だけで過ごした

■苦手な食材はないが、戦後の食糧難時代に一生分食べたと感じたサツマイモは好んで食べないという

■高校に合格した時、入学祝いに蕎麦を好きなだけ食べて言いといわれ、盛りそばを20枚以上たべたという


※参考文献『日経新聞(私の履歴書)』


■略歴
石毛直道(いしげ・なおみち)
日本の文化人類学者。民族学者。専攻は民族学、食文化論。国立民族学博物館名誉教授・館長。総合研究大学院大学名誉教授。日本コナモン協会筆頭理事。タンザニア、リビア、トンガ王国、西イリアン、ハルマヘラ島、東アジア、東南アジアなどで調査・研究に従事した。1937年11月30日、千葉県千葉市で生まれる
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