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野中郁次郎 家族

野中郁次郎 家系・子供
(経営学者)


父:朝次郎(足袋職人)
母:いく(洋品店や食堂を経営)
姉:14歳上
兄:13歳上

妻:幸子

子供:


■野中は1935年5月、東京都墨田区(当時は本所区)で、父・朝次郎と母・いくとの間に生まれた

■父親は元々足袋を縫う職人で、ミシンが日本に入って来ると、数台のミシンを使って足袋を縫った。女性を数人雇い、一時期は落下傘の縫製も手がけたという

■母親は東京の実家にあった『中村屋』という商店の屋号を買い取り、洋品店を始める。その後、食堂を始めラーメン、パン、菓子類も手広く売った

■自分の強みは職人だった父親譲りの『しつこさ』だという

■子供の頃、近所で草野球をしていた仲間に王貞治(5歳下)がいた


【参考文献】
『日経新聞(私の履歴書)』


略歴
■野中郁次郎(のなか・いくじろう)
日本の経営学者。一橋大学名誉教授。カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授。日本学士院会員。知識経営の生みの親として知られる。2002年に紫綬褒章受章。1935年5月10日生まれ。東京都墨田区出身
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屋井先蔵 子孫

屋井先蔵 家族・家系・子供
(乾電池王)


叔父:育ての親
父:6歳の時に死去

妻:繁(しげ)。1891年に結婚


■乾電池が世界に先駆けて日本で誕生した。その発明者は屋井先蔵(やい・さきぞう)という。残念ながら、彼のつくった会社は現在存在していない

■屋井乾電池は海外品との競争にも勝ち、日本国内乾電池界のシェアを掌握し、屋井は乾電池王とまで謳われるようになった

■しかし屋井は貧乏のため乾電池の特許は取得できなかった

■1887年に「乾電池」の発明に成功するが、日本における最初の乾電池の特許は屋井のものではなく高橋市三郎によるものである

■1888年にドイツではカール・ガスナーが、デンマークではヘレンセンが乾電池の特許を取得している

■屋井先蔵は昭和2年(1927年)に、胃がんに侵され、急性肺炎を併発して急逝。享年66



略歴
■屋井先蔵(やい・さきぞう)
【1864年~1927年】乾電池の発明者。乾電池王。越後長岡藩士屋井家(現在の新潟県長岡市)に生まれる。6歳で父が死去し叔父に引き取られた。23歳のときに電池(湿電池)で動作する連続電気時計を発明する

石橋博良 家族

石橋博良 家系・夫人・子供
(ウェザーニューズ創業者)


母親に育てられる

妻:同い年

息子:石橋知博(ウェザーニューズ執行役員)


■石橋は片親で育った。小学校6年生の時、伝書バトが無性に欲しくなる。母親に言っても文房具は買ってくれても伝書バトは贅沢品だから買ってくれない。そこで新聞配達を始めた。正月の元旦でのこと。ある家の郵便受けに『新聞配達さんへ』と書かれたお年玉袋が置いてあり、中に100円が入っていたという。家に帰り、母親に報告すると、『おまえは今、人にお金をもらって喜んでいる。でも、お前にこれをくれた人はもっと喜んでいるよ。おまえはもらう人ではなく、あげる人になりなさい』と言われた。この言葉は小学校6年生だった石橋には強烈なメッセージだった。このことは心の奥深くに刻み込まれたという

■妻とは同い年で安宅産業に入社する4日前に結婚している


【参考文献】
『世界最大の気象情報会社になった日』石橋博良



略歴
■石橋博良(いしばし・ひろよし)
【1947年~2010年】日本の実業家。株式会社ウェザーニューズの創業者。1947年1月5日、千葉県で生まれる。 北九州大学外国語学部英米学科卒業。安宅産業(現伊藤忠商事)入社、木材建材本部米材部配属。米国に本部をもつ「オーシャンルーツ」日本支社に転職。オーシャンルーツ日本支社長に就任。1986年、株式会社ウェザーニューズ設立

一木清直 子孫

一木清直 家族・家系・子供
(陸軍大佐)


父:
母:
妻:

娘(長女):安藤淑子



■昭和17年のガダルカナル島奪回作戦で一木清直大佐率いる約900名は1万人以上の米軍に挑み、あえなく全滅したとされる。指揮官の一木清直大佐は、無謀な突撃作戦にこだわり、部下の命を奪ったとして非難を浴びてきた

■しかし果たしてそれは真実なのか?最近新たな事実が浮き彫りになったらしい



略歴
■一木清直(いちき・きよなお)
【1892年~1942年】日本の陸軍軍人。陸軍士官学校卒(28期)。陸軍大佐(死後少将に昇進)。ガダルカナル島の戦いにおけるイル川渡河戦において、遮蔽物の無い浅瀬を渡渉中、アメリカ海兵隊が守備するイル川西岸機銃陣地からの一斉射撃を受け、交戦中に敵戦車部隊によって包囲殲滅された


※ガダルカナル島の戦いは、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである

※ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争(大東亜戦争)における攻守の転換点となった

※また日本は、兵員、軍艦、航空機、燃料、武器等を多く失ったため国力が大きく減少した

上山英一郎 子孫

上山英一郎 家族・家系・子供
(大日本除虫菊創業者)



父:上山長八(紀伊国の蜜柑農家)

妻:ゆき

長男:上山英之助(大日本除虫菊2代社長)
次男:英三(台湾銀行頭取)
三男:上山英夫(大日本除虫菊3代社長)

孫:上山英介(大日本除虫菊4代社長)

ひ孫:上山久史(NHKチコちゃんに出演)

※長男の英之助と三男の英夫は社長の就任時に勘太郎を襲名


■上山英一郎は1862年、紀伊国有田郡山田原村の蜜柑農家に生まれる

■上山長八の四男で先代彌兵衛の養子となり、1878年、家督を相続し前名秀之助を改めた

■ひ孫の上山久史氏が2019年7月26日放送のNHKチコちゃん「蚊取り線香の秘密『国道の数字の謎』ほか」に出演


【参考文献】
『NHKチコちゃん(2019年7月26日放送)


略歴
■上山英一郎(うえやま・えいいちろう)
【1862年~1943年】日本の実業家、篤農家。蚊取線香の発明者。また、「金鳥」の商標で知られる大日本除虫菊の創業者。向島亀森八幡神社「除虫菊神社」の祭神。ユーゴスラビア国名誉領事。趣味は書画、骨董。宗教は浄土宗。1943年、81歳で死去。英一郎は遺徳を称えられ、除虫菊神社に神として祀られている
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