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青木仁志 家族

青木仁志 家系・子供
(アチーブメント創業者)



妹がいる
妻:宏子
子供:あり


■北海道函館市の貧しい家庭に生まれる。3歳のときに両親が離婚。父親は再婚し父と義理の母のもとで育てられる

■洗濯するにもまだ洗濯機を使えず、冬でも盥(たらい)に水をためて手で洗っていたという

■義理の母の躾は厳しく、当時は反抗的な態度をとったが、今思えば、厳しい躾のお陰で、気配り、思いやり、そして感性が磨かれたという

■恵まれない家庭で育っただけに、青木は愛妻家であり家庭を大事にしている


【参考文献】
『人が育つ会社のつくり方』青木仁志


略歴
■青木仁志(あおき・さとし)
日本の事業家。人材教育コンサルティング会社、アチーブメント株式会社の創業者。日本CBMC理事長。日本ペンクラブ正会員。著書多数『絶対営業力-売上げを飛躍的に伸ばすカウンセリング・セールス』『ビジネス・セラピー -成功と幸福をつかむために』など。1955年3月 北海道函館市に生まれ札幌で育つ

鈴木幸一 家族

鈴木幸一 家系・子供
(IIJ創業者)



父:
母:映画好き、宝塚好き

妻:

子供:


■1946年(昭和21年)、神奈川県横浜市中区で生まれた

■父親は3人の兄弟を戦争で亡くしているので、『一番できの悪い私が生き残った』というのが口癖だったという

■母親は芝居や映画が好きで、鈴木は幼少の頃から母親に連れられて映画を見た

■母親は宝塚の雪組のファンで、公演には必ず足を運んだ。鈴木も連れられて見ていた

■IIJ(インターネットイニシアティブ)を設立し、日本ではインターネットにほとんど理解が得られなかったので、インターネットの母国、米国のナスダック市場に先行して上場した(1999年8月4日上場)。ITのリーダー企業と肩を並べた瞬間であった






※参考文献
『私の履歴書(日経新聞2019年10月)』


略歴
■鈴木幸一(すずき・こういち)
日本の実業家。株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)創業者。1946年9月3日、横浜市中区で生まれる。早稲田大学文学部を卒業

三宅裕司 家族

三宅裕司 家族・家系
(コメディアン、俳優)



先祖:才兵衛

曽祖父:三宅九平治(米穀商)
祖父:三宅幹太(学校の校長)
祖父:佐野敬司(新潟から東京に)
祖母:美根
伯母:松竹歌劇団出身

父:三宅肇(カメラマン)
母:佐野美智

妻:一般人

子供:息子と娘


■三宅裕司は1951年5月3日、東京の神田で生まれる。生粋の江戸っ子。祖父母の代から東京に住むようになったので、三宅は3代目

■父・肇は岡山県出身

■曽祖父の三宅九平治は岡山で米穀商を営み、土木常設員も務め大きなお屋敷に住んだ

■母は松竹歌劇団(SKD)出身で日本舞踊の名人

■母の影響で幼い頃から日本舞踊、三味線、長唄、小唄などを習う


参考文献
『NHKファミリーヒストリー(2019年9月23日放送)』


略歴
■三宅裕司(みやけ・ゆうじ)
日本のコメディアン、俳優、タレント、司会者。劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)主宰者。熱海五郎一座座長。血液型はB型。身長176cm。1951年5月3日生まれ。東京都千代田区神田神保町出身

野中郁次郎 家族

野中郁次郎 家系・子供
(経営学者)


父:朝次郎(足袋職人)
母:いく(洋品店や食堂を経営)
姉:14歳上
兄:13歳上

妻:幸子

子供:


■野中は1935年5月、東京都墨田区(当時は本所区)で、父・朝次郎と母・いくとの間に生まれた

■父親は元々足袋を縫う職人で、ミシンが日本に入って来ると、数台のミシンを使って足袋を縫った。女性を数人雇い、一時期は落下傘の縫製も手がけたという

■母親は東京の実家にあった『中村屋』という商店の屋号を買い取り、洋品店を始める。その後、食堂を始めラーメン、パン、菓子類も手広く売った

■自分の強みは職人だった父親譲りの『しつこさ』だという

■子供の頃、近所で草野球をしていた仲間に王貞治(5歳下)がいた


【参考文献】
『日経新聞(私の履歴書)』


略歴
■野中郁次郎(のなか・いくじろう)
日本の経営学者。一橋大学名誉教授。カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授。日本学士院会員。知識経営の生みの親として知られる。2002年に紫綬褒章受章。1935年5月10日生まれ。東京都墨田区出身

屋井先蔵 子孫

屋井先蔵 家族・家系・子供
(乾電池王)


叔父:育ての親
父:6歳の時に死去

妻:繁(しげ)。1891年に結婚


■乾電池が世界に先駆けて日本で誕生した。その発明者は屋井先蔵(やい・さきぞう)という。残念ながら、彼のつくった会社は現在存在していない

■屋井乾電池は海外品との競争にも勝ち、日本国内乾電池界のシェアを掌握し、屋井は乾電池王とまで謳われるようになった

■しかし屋井は貧乏のため乾電池の特許は取得できなかった

■1887年に「乾電池」の発明に成功するが、日本における最初の乾電池の特許は屋井のものではなく高橋市三郎によるものである

■1888年にドイツではカール・ガスナーが、デンマークではヘレンセンが乾電池の特許を取得している

■屋井先蔵は昭和2年(1927年)に、胃がんに侵され、急性肺炎を併発して急逝。享年66



略歴
■屋井先蔵(やい・さきぞう)
【1864年~1927年】乾電池の発明者。乾電池王。越後長岡藩士屋井家(現在の新潟県長岡市)に生まれる。6歳で父が死去し叔父に引き取られた。23歳のときに電池(湿電池)で動作する連続電気時計を発明する
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