太田牛一 子孫

太田牛一(武将)家族・末裔


父:尾張国春日井郡の土豪とされる

子共
・又七郎牛次(秀頼の家臣で摂津麻田藩初代藩主の青木一重に仕えた)
・小又助(丹羽家、織田信雄、秀吉に仕えた)

孫:宗古(前田利常に仕え、以来、加賀藩士として続いた)

子孫:太田直敬


■尾張国春日井郡安食村で生れたと伝えられる。通称は又助。信長、秀吉に仕えたのち秀吉の側室京極殿 (松丸殿) 付きの士となった

■『信長公記』(16巻)の著者として知られる



太田牛一(おおた・ぎゅういち)略歴
【1527年~1613年】戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。『信長公記』(しんちょうこうき)の著者として知られる。『信長公記』は、安土桃山時代の戦国大名である信長の一代記で、歴史史料である。信長の幼少時代から信長が足利義昭を奉じて上洛する前までを首巻とし、上洛(1568年)から本能寺の変(1582年)まで15年の記録を1年1巻とし、全16巻(16冊)にまとめている

小川宏 家族

小川宏(アナウンサー)家系・夫人・子供


妻:富佐子
次女:夫は作曲家、作詞家の中山大三郎(島倉千代子の『人生いろいろ』などの大ヒット曲を作詞)


■NHKアナウンサーから独立し、フジテレビで1965年から「小川宏ショー」の司会として活躍した

■NHK同期には大塚利兵衛、八木治郎、穂坂俊明、福島幸雄らがいる

■2016年11月29日、90歳で死去



小川宏(おがわ・ひろし)略歴
【1926年~2016年】日本のフリーアナウンサー・司会者。NHKアナウンサー。1926年4月17日、東京府南葛飾郡寺島村で生まれる。早稲田大学専門部工科建築科を卒業後、一旦間組(現在のハザマ)に入社するも半年で退職。NHKには二次募集で入局した。NHK退職後、フジテレビと専属契約を結び、1965年5月より同局朝のワイドショー『小川宏ショー』の司会を通算17年務めた。「小川宏ショー」は17年間4451回の放送を記録

小笠原敏晶 家族

小笠原敏晶(ニフコ創業者)家系・妻・子供


娘・小笠原有輝子(株式会社ジヤパンタイムズ社長を歴任)


■1931年3月30日生まれ。東京都出身

■マジックテープ販売の成功をきっかけに、ファスナー製造のニフコを設立した

■株式会社ニフコは、主にプラスチック工業用ファスナー、精密生成品を中心に製造する大手部品メーカーである

■ジヤパンタイムズは、日本の英字新聞及びそれを発行する新聞社。現存では日本最古の英字新聞社である

■2016年11月30日、85歳で死去



小笠原敏晶(おがさわら・としあき)略歴
【1931年~2016年】日本の実業家、投資家。日英物産(現・株式会社ニフコ)の創業者。熱海ゴルフ代表取締役、ジャパン・タイムス会長などを歴任。東京都出身。1953年、日本代理店「日英物産」を設立。1966年にプリンストン大学のウッドロー・ウィルソン国内・国際問題大学院を卒業

荒川博 家族

荒川博(プロ野球)家系・妻


実家:八百屋
夫人:和子
養子:荒川尭(元プロ野球選手。『荒川事件』の当事者として、今なお話題になる人物)


■王貞治選手の「一本足打法」の生みの親として知られる。世界の本塁打王の礎を作った

■王以外では土井正三・柴田勲・高田繁・末次民夫・黒江透修を育て、巨人の黄金期を支えた

■合気道の理論を打撃術に応用し「荒川道場」と呼ばれた

■2016年12月4日、86歳で死去


荒川博(あらかわ・ひろし)略歴
【1930年~2016年】日本のプロ野球選手。外野手。コーチ、監督、解説者。1930年8月6日生まれ。東京都台東区浅草出身。早稲田大学商学部卒業。現役時代は毎日オリオンズ、大毎オリオンズで活躍。著書:『ヒットの打ち方 - クリーンアップを打てるバッターへ』(1977年、かんき出版)。『君は王貞治になれるか』(1980年、山手書房)。『王選手コーチ日誌 1962-1969 一本足打法誕生の極意』(2010年、講談社)など
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